2020年10月4日「本庄新選組同好会」と「新選組!茨城玉造隊」の団体の方々が動画撮影のためのお稽古に来られました

 

 

 

 

2020年9月20日、「本庄新選組同好会」と「新選組!茨城玉造隊」の団体の方々が戸谷八商店に来られました。

 

皆さんで、YouTubeに配信するためのお芝居を制作しているとのことです。

 

戸谷八商店では、離れの方で、芹沢鴨の「本庄宿篝火事件」に関連するシーンのお稽古をされていました。

(芹沢鴨の生まれは、水戸藩[現在の茨城県行方市・旧玉造町芹澤]で、命日は9月16日です。)

 

皆さん熱心に稽古に取り組まれていました。

 

動画完成楽しみにしています!!

 

 


◆芹沢鴨と「本庄宿篝火事件」

 

 

本庄宿内での新選組のエピソードに、芹沢鴨の「本庄宿篝火事件」というものがあります。

 

後に新選組局長となる近藤勇が、浪士組の一員として京都に向かった際、本庄宿で、芹沢鴨の宿を取り忘れ、怒った芹沢が街道上で夜通し篝火を焚いたという出来事です。

 

文久3年(1863)2月、当時の将軍、徳川家茂の上洛にあわせて、将軍警護のために浪士組(新選組の前身)が作られました。メンバーは、芹沢鴨、近藤勇、土方歳三、沖田総司、永倉新八、山南敬助、藤堂平助など、新選組の主要メンバーがそろっていました。浪士組は、2月8日に江戸小石川に集まり、中山道を通って上洛しました。

1863年2月10日本庄宿で宿をとることになります。

宿舎の割り振りを任されたのは後に新選組局長となる近藤勇。

ところが近藤勇は芹沢鴨の宿を取ることを忘れてしまいます。

夕方、芹沢の宿が無いことが発覚します。烈火のごとく怒った芹沢が、「宿がなければ外で寝る。暖を取るから、篝火を焚け」と命じたそうです。

近くの古い小屋を壊すなど手当たり次第に木材を集めさせ、本庄宿の真ん中で野陣を張り、篝火を焚く事件を起こしました。

近藤勇の再三の謝罪によって芹沢は用意された部屋に入り、「本庄宿篝火事件」はようやく収まったのでした。

 

 


◆田村本陣について

本庄宿には、本陣が2軒(田村本陣と内田本陣)、脇本陣が2軒、一般の人々が宿泊する旅籠(はたご)も80件くらい軒を並べました。

田村本陣には、文久元年(1861年)第14代将軍徳川家茂に嫁するため江戸に向かう皇女和宮も宿泊されました。

 

 

旧本庄警察署前に移築された「本庄宿田村本陣の門」
旧本庄警察署前に移築された「本庄宿田村本陣の門」

 

 

田村本陣は、本庄宿の「北本陣」と呼ばれていました。

当時、田村本陣は、埼玉りそな銀行本庄支店の西側(本庄市中央1丁目6)、現在は月極駐車場となっている場所にありました。現在、門だけが旧本庄警察署(歴史民俗資料館)の前に移築されています。

(※本庄市立歴史民俗資料館は2020年2月29日閉館されました。)

 

 

 

 


 

 


◆篝火事件はどこで起きた?

(新選組にかかわりのあるもう一つの聖地を求めて)

本庄宿篝火事件に関する資料は、残念ながら本庄にはないようです。

ところが、新選組浪士の一人である永倉新八が、晩年に新選組の回顧録『新選組顛末記』の中で本庄宿での篝火事件について語っています。このことから、篝火事件は史実として受け止められるようになりました。

 

本庄の郷土史家である柴崎起三雄先生は、『本庄のむかし こぼれ話』の中で、篝火事件について2点指摘されています。

 

 

①焚火事件(2月10日)の原因を作ったのは近藤勇ではなく岡田盟だった

 

柴崎先生は、高木潜一郎(泰運)の2月12日の日記を引用し、宿割りに失敗したのは近藤勇ではなく、岡田盟とする方が説得力を持つことを指摘されています。

「三番組小頭軍礼を破り、岡田盟本庄宿にて手違いこれあり候」『御上洛御供先手日記』※三番組の小頭とは芹沢鴨のことです。

 

 

②焚火事件があったのは、「台町」の路上での出来事ではないだろうか

 

柴崎先生は、また、焚火事件があった場所について推定されています。

 

「本庄宿で焚火騒動があったのが事実だとすると、どの辺での出来事かと知りたいのが人情である。(中略)

あえて推測するならば、浪士隊は240人に近い大人数であり、彼等を掌握しておくには可能な限り分散させずに宿泊させたい。また、隊士の集合や宿泊の割り当てをするには広い場所が必要である。

この頃の本庄宿には旅籠数は約80軒程で、その半分の40軒が台町にあり、台町の旅籠屋数は浪士組全員が泊まるのに十分である。

高木潜一郎も『本庄宿 角屋』を宿舎としたことが日記にあり、角屋は台町の東端にあった。また大勢の隊士の集合が可能な場所として台町に大正院がある。

これらのことを考えると大焚火は台町の路上での出来事と考えても無理がない。芹沢にしても仲間が大勢見ている中でやってこそ自己の存在をアピールできるというものである。この点からも台町の路上とするのが良いようである。(P118)」(『本庄のむかし こぼれ話』柴崎起三雄著より)

 

 

 

『本庄のむかし こぼれ話』(柴崎起三雄著)をもとに作成
『本庄のむかし こぼれ話』(柴崎起三雄著)をもとに作成

 

 

 

 


◆ゲームソフトの中で表現された芹沢鴨「本庄宿篝火事件」

 

 

出典:平安興業様のYouTube「風雲幕末伝 芹沢鴨『大篝火事件』part2」より