神々の変遷

 

 

 

◆本庄祇園まつりの起源

 

 

 

■市神

■祇園祭りについて

 

 

祇園祭りは京都の祇園社の御霊会(ごりょうえ)を起源とする。

平安時代、度々流行する疫病は非業の死者の祟りと考えられ、怨霊慰撫(おんりょういぶ)のための祭祀(御霊会)が行われていた。

疫病に苦しむインドでは、中国の牛頭山(ごずさん)に生える薬草が疫病に効くことから、牛頭天王(ごずてんのう)の存在を信じ、釈迦の聖地・祇園精舎(ぎおんしょうおじゃ・インドの寺院)の守護神として祀っていた。

商業地域である京都下京地区の住民は、疫病を鎮めるために牛頭天王を祀り祇園社として信仰した。

この祇園社の御霊会が疫病退散に効果があり、朝廷の信任を得て盛大に行われるようになり、全国各地でも天王社が祀られるようになった。

日本では、粗暴ながら怨霊を封じ込める力を持つ素戔嗚尊(すさのおのみこと)と牛頭天王とは同じ神であり、この神が仏に変身した姿が薬師如来であると信じられていた。神仏習合の考え方である。

 

 

 

■牛頭天王

◆本庄祇園祭り発祥地は本町(1663年)

■天王祭(下天王祭・上天王祭)

 疫病神である牛頭天王は、商業神としても信仰を得ていた。

本庄宿では、榛沢村(はんざわむら・今の深谷市周辺)から定期市を譲り受けた時に、牛頭天王を祭神とする市神様も一緒に譲られ、市を開催する本町、中町、上町がこれを本庄宿の市神として祀った。

市神は、本町の田村本陣前の高札場(こうさつば)脇に祀られ、宿役人の森田助左衛門が管理して、市や祭りなど一切を取り仕切った。

市神祭りは「天王祭り」、「祇園祭り」と呼ばれ、市の繁栄と疫病退散の願いを込めて、夏の大市である6月27日に行われた。

当初は3町の祭りであったが、寛文8年(1678年)に、台町が獅子舞の奉納を始め、これ以降、台町の獅子舞が市神祭りの常例となり、台町獅子は祭礼獅子の名で呼ばれた。

享保3年(1718年)になり、2日、17日の開市を認められた新田町でも、新たに戸谷伝右衛門宅前(現宮本町・泉町境界点)に市神を祀り、上天王とした。

市神祭りも「上天王」と「下天王」(本町市神)とは別々に行われ、上天王の祭りは上市(新田町)の開催日である6月17日に、下天王は下市の開催日6月27日に神輿渡御*(みこしとぎょ)が行われた。しかし、祭礼獅子は、下天王の祭りだけに奉納された。(p81-82)

 

 

*神輿渡御(みこしとぎょ)…神霊(しんれい)が宿ったご神体を神輿に移して、氏子地域内やお旅所(おたびしょ)に渡御すること 。御神幸祭(ごしんこうさい)

 

■牛頭天王と素戔嗚尊と薬師如来

「神仏習合」の考え方

 

夏祭りが「天王様の祭り」「祇園祭り」「八坂祭り」と呼ばれる理由はここにあります。

■明治元年の神仏判然令により市神様は「八坂神社」に名称変更

京都本部が八坂神社に統一

本町の下天王社は八坂神社へ名称変更

 

台町の獅子舞の津島神社・新田町(宮本町・泉町)の上天王社も八坂神社へ名称変更

■「八坂神社」(本町の市神様)は八幡神社へ合祀

中山道で鉄道が通る

→市神様(下天王社)を中山道より八幡神社に移転する

 

明治12年「遷宮祭」の時に、臨時で山車の曳きまわしが行われた

■明治45年の神仏分離令により、城山稲荷神社へ合祀

八幡神社・八坂神社は城山稲荷神社へ合祀される

■平成12年本町の「宮出し」復活

 

 

 

■本町の市神様の遷宮の歴史

市神様移動ルート

中山道(年)→明治12年八幡神社へ→明治45年城山稲荷神社へ

■前期本庄城と後期本庄城

【前期本庄城】

本庄氏が東本庄村から北堀にやってくる

金鑚神社が祭神

(城山稲荷神社を前期本庄城へ移築・天満宮と神宮寺を天神林へ勧請)

 

【後期本庄城】

本庄氏滅亡後、小笠原氏が城主となる

本庄氏と同じ金鑚神社が祭神

(城山稲荷神社を後期本庄城に移築・神宮寺と天満宮を寺坂町へ・開善寺と円心寺の建設)

■本庄の寺・神社の変遷の歴史

開善寺(小笠原氏の菩提寺)

神宮寺(天神林)→寺坂町へ(慈恩院)

天満宮(天神林)→寺坂町へ→天神林→寺坂町→あぶり神社へ

安養院(明治の神仏分離令まであぶり神社の別当院)

あぶり神社→天満宮と合祀→あぶり天神社

円心寺(小笠原氏)→小笠原氏の父を祀る

八幡神社(小笠原氏・円心寺とともに)→城山稲荷神社へ

下天王社→八坂神社→天満神社→城山稲荷神社へ

上天王社→八坂神社→金鑚神社へ

金鑚神社(もとは本庄氏の東本庄村)→前期本庄城の鬼門に現在の大正院へ→戸谷八郎左衛門邸宅→宮本町へ

威徳院(金鑚神社)→明治45年廃寺→佛母寺

台町の津島神社→金鑚神社→天満宮→津島神社→明治元年八坂神社→現在の場所へ(城山稲荷神社の東側)

城山稲荷神社(本庄市が勧請・久城堀の東側)→小笠原氏が後期本庄城の方へ移動(久城堀の西側へ)

 

 

 

◆本庄本町の神輿

 

 

 

本町の神輿は、明和4年(1767)に製作の本庄市指定文化財です。

1769年より、市神祭礼日に神輿渡御が行われました。明和12年に修理が行われていますが、旧状をよく保っています。昭和5年に新しい神輿がつくられてからは担がれることはなく、祇園際には御仮舎に飾られています。

 

 

 

■諫鼓鶏(かんこどり)について

■神田祭・大伝馬町の山車の諫鼓鶏(かんこどり)

大伝馬町の諫鼓鶏(かんこどり)

■城山稲荷神社での「宮出し」儀式