免許状を持つ5組の本庄の「金鑚神楽」について

~金鑚神社(本庄市)には「神楽殿(かぐらでん)」があり、毎年11月3日の本庄まつりで上演されています~

 

◆本庄組による金鑚神楽「禊(みそぎ)【翁(おきな)】」

出典:https://youtu.be/dDlVFHn6VVU

 

「金鑽神楽」とは、児玉郡神川町二ノ宮にある金鑚神社を核として埼玉県北部に形成された13組の神楽組による神楽の総称です。

本庄市域では、金鑚神楽の「5組の神楽」本庄市無形民俗文化財に指定されています。 

 

神楽とは神様の心を慰めるために演じられる舞楽である。

一般には里神楽と呼ばれ、古くは神社ごとに特色ある神楽が演じられていたが、現在本庄市域で行われている神楽はすべて『金鑚神楽』である。

明治15年、『遊芸人取締規則』が発令され、里神楽がその対象とされると当地域では神川町金鑚神社が主導して各神社の神楽に優雅さを加え、演目も25座と定め、金鑚神社付属神楽としての『免許状』を与えることで取締対象から逃れた。

『金鑚神楽』は児玉郡、大里郡を中心に13座が組織され、市域では本庄組(諏訪町)、宮崎組(牧西・モクサイ)、杉田組(四方田・シホウデン)、根岸組(小平・コダイラ)、太駄組(太駄・オオダ)があるが、その伝承系統は大きく大宮住吉神社(現坂戸市)系と深谷市鼠八幡社(旧藤沢村)系の2つの系統と考えられる。」(『本庄のむかし(P176)』柴崎起三雄著より)

 


◆本庄組

「鼠八幡神社神楽」(深谷市上野台)から岡部町の森田組をへて「諏訪町」(本庄市)に伝授されました。

文政8年(1825年)の免許状が2通残されています

 

■本庄組 2通の免許状

文政8年(1825年)、神祇官領長上家(じんぎかんれい ちょうじょうけ)御役所より神社総代(助右衛門、八左衛門)や、宿役人(半蔵、半兵衛)宛てに出された「神楽執行の免許状」 ※金鑚神社での当時の神楽奉納者は、神職と直属の神楽師によると考えられる。
文政8年(1825年)、神祇官領長上家(じんぎかんれい ちょうじょうけ)御役所より神社総代(助右衛門、八左衛門)や、宿役人(半蔵、半兵衛)宛てに出された「神楽執行の免許状」 ※金鑚神社での当時の神楽奉納者は、神職と直属の神楽師によると考えられる。
金鑚神楽に関係する展示物(2019年はにぽんプラザで開催の「本庄祭りと各町の展示物」の諏訪町コーナーより)
金鑚神楽に関係する展示物(2019年はにぽんプラザで開催の「本庄祭りと各町の展示物」の諏訪町コーナーより)

 

神社の氏子によって代々伝承され、毎年11月3日の金鑚神社例大祭に、金鑚神社神楽殿において本庄組の神楽が奉納されています。

その他、阿夫利神社(例祭9月3日)・諏訪神社(例祭10月17日)・城山稲荷神社(例祭4月12日)等に神楽を奉納しています。

 

本庄組では、神楽伝承の中心に諏訪町(本庄市)の「細野家」の方々がかかわっていたことがわかります。

白川御殿門家である細野磯部貞道が金鑚神社に神楽を奉納したのが最初で、以降細野家が氏子に神楽を伝えたとも言われている。(P176)」

 

深谷市鼠八幡社(ねずみはちまんしゃ)系とする神楽で、深谷市新戒より岡部森田組を経て幕末頃に諏訪に伝えられたとされ、明治15年に金鑚神楽本庄組として発足した。本庄組の中心となったのは細野重吉である。重吉は神楽組の成立経緯について、父細野織部が文化2年(1805)、京都で見た芝居の所作を取り入れたとしている。」(『本庄のむかし(P176)』柴崎起三雄著より)

 


※上野台八幡神社(深谷市上野台)

上野台八幡神社(深谷市)の「神楽殿」
上野台八幡神社(深谷市)の「神楽殿」

八幡神社(上野台)は、深谷上杉氏の家臣、岡谷清英(加賀守)が、戦国時代の天文19年(1550)に、深谷領の守護として、山城国(京府府)の石清水八幡宮を勧請したのに始まり、当初は茅場村(深谷市萱場)の「清心寺」の鎮守として祀られました。その後、八幡神社は一時衰退しましたが、江戸時代の宝永三年(1706)に上野台村の地頭・大久保氏によって再建され、正徳年中(1711~16年)に大久保氏によって、現在の地(字森下)に遷座されました。

 

例祭は10月15日前後の金土日曜日の3日間行われ、お神輿にともなって、獅子舞、棒づかい、浦安の舞が奉納されます。獅子舞(ささら)深谷市の無形民俗文化財に指定されています。

 

【現在の地図】

八幡神社の氏子区域は西の「鼠」「大台」「小台」と東の三宿「上宿」「中宿」「下宿」の6つの地区で構成されています。西の上野台(字森下)には「八幡本社」、東の上野台(字上宿、現在の上柴町西6丁目)には「神輿倉」があります。

【上野台村の明治以前の地図】

例大祭では八幡神社内で各町の山車が集いお囃子の叩き合いが行われます。

 


「本庄組」が神楽を奉納する神社について

■金鑚神社 神楽殿

(例祭11月2・3日)埼玉県本庄市千代田3丁目2-3

「広報ほんじょう(2017年4月号)より

 

「金鑚神社 御由緒」(本庄市千代田3丁目)
「金鑚神社 御由緒」(本庄市千代田3丁目)

■諏訪神社 神楽殿

(例祭10月17日)埼玉県本庄市寿2丁目1-21

 

 

「諏訪神社 御由緒」(本庄市寿2丁目)
「諏訪神社 御由緒」(本庄市寿2丁目)

■阿夫利天神社 神楽殿

(例祭9月3日)本庄市中央3-4-38

拝殿:平成14年9月再建

設計:茂木建築設計事務所

施工:竹並建設(株)他、本庄市合同企業体

施工協力:(有)社寺建築戸部

 

阿夫利天神社(本庄市)の鳥居と神楽殿
阿夫利天神社(本庄市)の鳥居と神楽殿

 

 

 

 

■城山稲荷神社 神楽殿

(例祭4月12日)埼玉県本庄市本庄3丁目5-44

 

 

 

 

【埼北よみうりに掲載】

~明治安田文化財団から助成を受けて金鑚神楽本庄組が道具(太鼓と神楽鈴)を新調~

埼北よみうり掲載記事(2020年8月14日掲載)
埼北よみうり掲載記事(2020年8月14日掲載)

◆宮崎組

■八幡大神社 神楽殿(本庄市牧西)

(例祭10月15日)埼玉県本庄市牧西557

宮崎組の神楽面(『今昔郷土集』本庄市自治会連合会より)
宮崎組の神楽面(『今昔郷土集』本庄市自治会連合会より)

 

「宮崎組」の金鑚神楽は、江戸時代に中山道沿いの牧西村(もくさいむら)の人々が、大宮住吉神楽を伝授したことに由来しています。神楽に使われる面の造りは、江戸正徳年間(1711-1716)以前のもので、能面系統の面を使用しており、舞いも他の神楽とは異なっています。

毎年4月と10月に八幡大神社(本庄市牧西)に神楽を奉納しています。

八幡大神社は、建久年間(1195年)に児玉党の一族牧西四郎広末が武運長久を願い、鎌倉鶴岡八幡宮を奉還して祀ったものです。 

 

「正徳6年(1716)及び明和2年(1765)、同4年の寅稲荷神社(八幡大神社合祀)宮司宮崎家宛の神楽免許状がある。「湯立神楽」で、湯立釜の四方に注連縄を張り、神楽歌のうたわれる中、神主が神聖な湯を笹につけて参列者に振り掛ける神事である。

その後、仁手村(にってむら)の神楽組解散に際して神楽衣装・諸道具一式を譲り受け、金鑚神楽宮崎組として八幡大神社の神楽とした。」(「本庄のむかし(P177)」柴崎起三雄著)

 

◆杉田組

■産泰(四方田金佐奈)神社 神楽殿

(例祭4月4日)埼玉県本庄市四方田288-1

 

 

 

「金佐奈神社として創建されたが合祀されている産泰神社(さんたいじんじゃ)の知名度が高く、一般には産泰様として知られている。

宝暦年間(1751~63)に金鑚神社(神川町)直属の神楽組が住吉神社から神楽を伝習し、杉田組は明治7年頃に金鑚組より習ったとされる。」(「本庄のむかし(P177)」柴崎起三雄著)

 

大宮住吉神楽(坂戸市塚越)より伝授され、「四方田金佐奈(産泰)神社」春祭り(4月4日)「西富田金鑚神社」の秋祭り(10月19日)で上演されています。

 

■西富田金鑚神社 神楽殿

(例祭10月19日)埼玉県本庄市栄3丁目5


◆太駄組(おおだぐみ)

「宝暦年間に、地域の神楽師が一社相伝の神楽と、住吉神社に伝わる古代神楽とを融合させて完成。明治期に金鑚神楽となる。」(「本庄のむかし(P177)」柴崎起三雄著)

 

明治26年金鑚神楽本庄組に師事し、金鑚神楽「太駄組」として発足しました。

明治28年から大正・昭和にかけての文書が数多く残されています。

4月の岩上神社(いそがみじんじゃ)の春祭りと、毎年2月の初牛の日に久保稲荷神社に奉納されています。

 

『今昔郷土集』(本庄市自治会連合会)より
『今昔郷土集』(本庄市自治会連合会)より

■岩上神社(いそがみじんじゃ) 神楽殿【太駄中】

(例祭4月12日)埼玉県本庄市児玉町太駄293

岩上神社(児玉町太駄)の鳥居と神楽殿
岩上神社(児玉町太駄)の鳥居と神楽殿

 

 

■久保稲荷神社【太駄上】

毎年2月の初牛の日に奉納

埼玉県本庄市児玉町太駄1021付近(※お蕎麦屋さん「二松菴」様の裏手側にあります。)

 

 

『今昔郷土集』(本庄市自治会連合会)より
『今昔郷土集』(本庄市自治会連合会)より

◆根岸組

石神神社(児玉町小平)に奉納

「明治初年に石神神社の社掌根岸虎平が大里郡用土村より神楽面と装束等を譲り受けて始まり、後に金鑚神楽に属する。」(「本庄のむかし(P177)」柴崎起三雄著)

 

■石神神社 神楽殿【東小平】

(例祭10月17日)埼玉県本庄市児玉町小平1

 

 

逆さ狛犬や鬼瓦など見事な彫刻

 

 


小平の獅子舞について

小平の獅子舞は本庄市指定文化財です。

元禄12年(1699)に皆野町より成身院覚桑上人が譲り受け持ち帰ったことが始まりといわれています。

日光東照宮完成後、彫刻の名人として知られる左甚五郎が彫ったという言い伝えがあり、現在は3頭で構成されています。

 

春には「日本神社」春祭り)で、秋には「石神神社」(秋祭り)で「小平の獅子舞」が奉納されます。

 

『今昔郷土集』(本庄市自治会連合会)より
『今昔郷土集』(本庄市自治会連合会)より

■日本神社【西小平】

(例祭10月17日)埼玉県本庄市児玉町小平1578

 

 


◆「広報ほんじょう」2017年4月 神楽 伝統*伝承より

 

 

 

 

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『広報ほんじょう』(平成29年4月).pdf
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