金鑚神社(本庄市)にて「夏越の大祓(なごしのおおはらえ)」がありました。

 

 

 

 

◆夏越の大祓(なごしおおはらえ)とは

2020年7月31日(金)金鑚神社境内で「夏越の大祓(なごしのおおはらえ)」がありました。

 

いつもは若泉公園(本庄市)に御仮舎を設置し、神事が執り行われていましたが、今年は、金鑚神社境内で行われました。

 

「茅の輪くぐり」の「茅の輪」は、疫病退散のシンボルで、茅の輪をくぐることで、無病息災になると伝えられています。

 

 

柴崎起三雄先生の『本庄のむかし こぼればなし』によると、

 

「『夏越の大祓』は1年前半の無事を神に感謝し、後半の無事を願う祭りで、身体の穢れを『人形(ひとがた)』に移して水に流し、茅の輪をくぐって無病息災を祈る『祓え祭り』で、これが庶民の年中行事となるのは江戸時代中頃である。

金鑚神社による現在の夏越祭(夏越の祓)は7月31日、神社の飛び地である若泉公園において、園内を流れる元小山川のほとりに御仮舎(川社)を設けて行われる。

参拝者は『人形』を神前に納めてから脇に作られた直径2メートルほどの茅で作った輪(茅の輪)をくぐり抜ける。

(中略)

神社より前もって配布された人形に、男性は白、女性は赤の人形を用い、氏名・年齢を書いて身体を撫で、最後に息を吹きかけて身に付いた厄や穢れを移す。

神職がこれを祓い浄めて川に送り流したことから、『形代流し』『お姿流し』等と呼んだ。現在、金鑚神社では川の環境を守るためにお炊き上げした灰の少量を川に流している。(P136)」

 


◆金鑚神社の「夏越大祓」形代(かたしろ)

 

 


「大祓(おおはらえ)は、古代より行ひ来し神事にして、人々が過去一年間知らず知らず過ち犯した罪・咎(とが)叉は目に見、心にふれし諸々の穢れ(けがれ)を神祇(じんぎ)に祈って祓ひ棄て、心身を清浄潔白にして、疫病、水難、交通禍、その他諸々の災害より御守護いただく信仰の儀式です。

人形代(ひとかたしろ)は、白が男、赤が女ですから、年齢、名を記し身体をなで息を吹きかけて御仮舎(おかりや)にお持ち下さい。

御祓(おはらい)して川に流します。

忌中(きちゅう)の人、不浄の方でも差し支へありません。」

 

 

形代(かたしろ)には、神歌が記されています。 

 

◆白の人形

神歌「思事水無月奴止天麻乃葉乎伎里仁切天母祓津留哉」

(思ふことみなつきねとて麻のはをきりにきりても祓へつるかな)

 

【意訳】思うことや悩み事は、みな尽きてしまえと、麻の葉を切りに切ってお祓いをいたしました。

 

 ◆赤の人形

神歌「美那月乃夏越乃祓寸流人波千年乃命延止云也」 

(水無月【みなづき】の 夏越の祓【なごしのはらえ】する人は 千歳【ちとせ】の命 のぶといふなり)

 

【意訳】夏越の祓えをする人は、寿命が延びて千歳の命を得るということだ 。

 


◆蘇民将来の伝説と「茅の輪くぐり」

「茅の輪くぐり」は、「蘇民将来(そみんしょうらい)=素戔嗚尊(スサノオノミコト)」の伝説に由来しているとのことです。

 

 「『備後国風土記』によれば、武塔神(むとうしん)=素戔嗚尊(スサノオノミコト)は旅の途中で日が暮れてしまい、一晩の宿を探し求めた。初めに土地の裕福な巨旦将来(こたんしょうらい)を訪ねて宿を願ったが断わられ、次に巨旦の兄である蘇民将来(そみんしょうらい)を訪れた。

蘇民将来は貧しかったが喜んで迎え入れて手厚くもてなした。翌朝、武塔神は恩返しに『茅の輪』のお守りを与えて、

『吾は速須佐雄の神なり。後の世に疫気あらば、汝、蘇民将来の子孫と云ひて、茅の輪を以ちて腰に付けたる人は免れなむ』と約束した。

やがて村に疫病が流行り、巨旦将来一族や村人は死に絶えたが茅の輪のお守りを付けた蘇民将来一家だけが無事であったと言う。それ以来、『茅の輪』は疫病退散のシンボルとされ、『茅の輪』をくぐると無病息災になるとされた。

 

堅い地表を割って目を出す茅(かや)に人々は神の力を感じ、剣のように鋭い葉先は邪気を破ると信じた。また、生命力、再生力の強さにあやかり『茅の輪くぐり』は『胎内くぐり』とも呼ばれている。(P136)」(『本庄のむかし こぼればなし』柴崎起三雄著より)

 


◆「蘇民将来之子孫也」のお守り

京都八坂神社の「蘇民将来之子孫也」のお守り
京都八坂神社の「蘇民将来之子孫也」のお守り

 

京都の八坂神社では、木を8角形に削り調製した「蘇民将来之子孫也」のお守りが授与されています。

氏子の家々では、このお守を玄関や床に飾って無病息災を願います。 

また、祇園祭では、氏子は「蘇民将来子孫也」の護符を身に付けてお祭りに参加します。

 


◆素戔嗚尊(スサノオノミコト)と悪疫退治の力

 

素戔嗚尊(スサノオノミコト)は神仏習合の時代では、素戔嗚尊が仏に姿を変えた薬師如来であると考えられ、悪疫退治に力を発揮する神であるとされていました。

 

「須佐之男命」歌川国芳作
「須佐之男命」歌川国芳作

 

 

明治18年製作の台町の山車「素戔嗚尊」
明治18年製作の台町の山車「素戔嗚尊」

 

 


◆金鑚神社 

金鑚神社は町の鎮守でもあり、ご祭神は、天照大御神(アマテラスオオミカミ)・素戔嗚尊(スサノオノミコト)・日本武尊(ヤマトタケルノミコト)です。

 

 

◆台町の山車(スサノオノミコト)と悪疫退治 

台町の山車は、明治18年東京浅草の浪花屋七郎兵衛によって製作されました。人形は「素戔嗚尊(スサノオノミコト)」です。

「台町では金鑚神社移転後も素戔嗚尊を祀る津島神社(八坂神社)を氏神として祀り、祭りに曳く山車人形にも素戔嗚尊を載せている。台町が素戔嗚尊を載せる現在の江戸型山車を購入するのは明治18年であるが、それ以前の山車とされる明治5年の金鑚神社例祭の記録にも「素戔嗚像引物」とあるように、台車に素戔嗚像人形を載せた曳物であった

明治3年の悪疫退散祈願の祭りに曳かれたのも、悪疫退治に霊験ありとされる『素戔嗚尊像引物』で、台町が宮本町までこの山車を曳いて、悪疫退治に一役買ったものであろう。(P135)」(『本庄のむかし こぼればなし』柴崎起三雄著より)

 


◆金鑚神社(本庄市)

(埼玉県本庄市千代田3丁目2-3)