2020年10月14日(水)戸谷八商店で行われた「第3回本庄すまいる日和」に、ロータリークラブでお世話になっている茂木正氏が来てくださいました。
茂木氏は、本庄ロータリークラブの会員で、2018-2019年度の国際ロータリー第2570地区(埼玉西北エリア)のガバナーを務められた方です。
※ガバナーとは、知事、理事、監督者といった意味があり、ロータリーにおけるガバナーとはその地区の長を指します。 国際ロータリー第2570地区は、埼玉西北エリアの50クラブを有する地区で、その代表者がガバナーということになります。
◆日本のロータリークラブ分布図
世界には220以上の国と地域に、35,000以上のクラブ(530地区)があります。
日本は3ゾーン編成で、34の地区に分かれています。( そのうちの1地区にはミクロネシア、グアム、北マリアナ諸島、パラオという海外の地域も含みます。)
◆2570地区のペリリュー島での慰霊祭
戦後70年の2015年4月9日に、上皇ご夫妻(当時は天皇、皇后両陛下)は太平洋戦争の激戦地パラオ・ペリリュー島を慰霊のために訪問され、戦没者の碑に献花されました。
2019年3月4日、その同じ場所で、秩父神社の薗田宮司様のもと慰霊祭が執り行われました。
下記動画はその時の様子です。
動画は本庄ロータリークラブの金井福則氏作成のものです。
【出席者】
神主:薗田 建様【秩父神社宮司 薗田稔会員(秩父ロータリークラブ)のご子息様】
2018-2019年度ガバナー:茂木 正様(本庄RC)
会長:五十嵐 敦子様(本庄RC)
幹事:金井 福則様(本庄RC)
柿木 左近様(岡部RC)
(他ロータリアン:19名参加)
◆ペリリュー島での未収容遺骨数
【ペリリュー島での戦い】1944年9月15日~11月27日
ペリリュー島は、人口約600人、周囲20kmの小さい島です。
戦没者数:10,200人
収容・帰還数:7,616人(75%)
※パラオ諸島全体では、
戦没者数:16,200人
収容・帰還数:8,830人(55%)
◆戦没者の碑
◆竣工日:昭和60年3月8日
◆設計:菊竹 清訓(きくたけ きよのり)氏
◆碑文
「さきの大戦において西太平洋の諸島及び海域で戦没した人々をしのび平和への思いをこめてこの碑を建立する」
◆茂木正氏の活動 ~先人の想いを受け継ぐ~
2018年11月15日に開催された「茂木正ガバナー3C合同公式訪問例会」 ※ガバナー月信12月号(2018-2019年度)より
茂木正氏は、20年間、海外戦没者のご遺骨の収容活動に取り組まれています。
ガバナー年度(2018-2019年度)では、地区のテーマを『想いを繋ぎ地域と国の発展に奉仕する』と掲げられました。
先人の想いを受け継いでいくことの重要性を、ロータリー活動を通じて伝えていこうと主張されました。
「私は、私自身が、父や母、祖父や祖母、曾祖父や曾祖母・・・・ご先祖様から幸せになってくれよという想いを集めた“結晶体”だと考えます。その先祖からの想いを、娘や孫、あるいは社員や友人にしっかりと伝えていくことも、一つの使命だと思います。」
「私は、20年程前から、南洋諸島、ミャンマー、フィリピン、インドネシア、硫黄島などに埋もれている将兵のお骨を掘って日本にお連れをするというボランティアをさせていただいています。(中略)パラオには十数年通い続けています。」
「大東和戦争で亡くなり未だ日本に帰っていない方々。そういう人たちの想いを繋ぎたい、受け取りたいと思います。
海に沈んだ船の中にも日本人の遺骨が残されています。残念ながらそれを引き上げることはできませんが、そうした人達の想いもしっかり受け止めなければなりません。」
「異国の地で亡くなった方たちの悲痛な想い。『私たちは不幸にも遠い異国で死ななければならなかった。後に続くあなたたちにはしっかり幸せになってほしい。そして二度と戦争で死ぬような、戦争を起こすような国にしないでほしい』という想い。それこそがしっかりと引き継がなければいけない使命だと思います。」
「日本は、こんなに豊かにそして平和な国になりました。経済大国として開発途上国にも支援ができるようになりました。しかし、日本の為に亡くなった多くの人達の遺骨を放り出したままで、尊敬される国になれるとは思いません。
ガバナーを受けさせていただいたのは、ロータリー活動を通じてたくさんの人達に“伝えていく”ことが使命だと思たからです。日本の次の時代を担う青年の育成に力を入れ、そしてこの想いを伝えていきたいと思っております。」
◆海外戦没者遺骨の収容状況
3年8カ月に及んだ太平洋戦争の戦没者310万人のうち、海外戦没者(日本本土以外、沖縄・硫黄島含む)は、240万人にのぼります。
海外戦没者のうち、半数近くの112万人の遺骨は現在も収容されないままとなっています。
◆JNNニュース 2019年8月14日放送
”戦争の悲劇をどう伝えていけばよいのか” ~ある教師の試み
TBS NEWS『”最後の手紙”を高校生に』より
日本の真南に位置するパワオ共和国。
墜落した零戦が今も残っている。
2012年、零戦のパイロットは吉田さんの大叔父であることがわかる。
大叔父は姪である母に一通の手紙を残していた。
そこには喜びが綴られていた。
死を前にしてなぜ喜びなのか?
7年後吉田さんは高校の先生になる
「大切な人へ最後の手紙」の授業をする。
死を前にしたとき、人は大切な人にどのような言葉を残すのか。
戦争の悲劇を、どう伝えていけばいいのか。
かつて日本兵たちが書いた“死を覚悟した手紙”を想定して、高校生に“最後の手紙”を書いてもらうという、ある教師の試みが動画に綴られています。