2021年1月24日(日) まちづくりフォーラムinかぞ2021「渋沢栄一と加須市」に行ってきました。

 

 

 

 

◆まちづくりフォーラムinかぞ2021「渋沢栄一と加須市」

日程:2021年1月24日(日)

場所:市民プラザかぞ

 

第1部 講演「渋沢栄一と加須市」

講師:平澤 香氏

 

第2部 講談「渋沢栄一物語」

講談師:神田 すみれ氏

 

※パネル展示 渋沢栄一書類レプリカなど約30点

 

以前戸谷八商店に見学に来てくださった主催者の方からご連絡をいただき、まちづくりフォーラム(加須市)に参加させていただきました。

(当日は、マスクの着用、体温測定、手指消毒、定期的な換気、一席ずつ間隔を開けての着席など、新型コロナウィルスの感染予防が徹底されていました。)

 

 

 

 

第一部では、平澤 香氏(平成国際大学特任教授)によって、大正7年(1918年)に、渋沢栄一翁が加須市を訪問したときの様子について紹介されました。

渋沢栄一翁は、加須小学校での講演、製紙会社訪問、不動岡高校での講演、不動岡寺での松の植樹などを行われたとのことです。

 

第2部では、神田すみれ氏によって迫力ある「渋沢栄一物語」を聴かせていただきました。

 

 

 

◆渋沢栄一の書「質実剛健」(不動岡高校)

不動岡高校には、現在も渋沢栄一翁の書「質実剛健」の額が掲げられています。

 

 

◆不動ヶ岡不動尊総願寺の「論語碑」

 

不動ヶ岡不動尊総願寺(加須市)境内には、渋沢栄一の書による「論語碑」があります。

(高さ4m30㎝、横1m86㎝、厚さ20㎝)

石碑は、大正7年(1918年)の渋沢栄一翁の加須市来訪を記念して、その2年後の大正9年(1920年)秋に建立されたものです。

 

 

渋沢栄一の「論語碑」(不動ケ岡不動尊・総願寺)  FOURSQUAREより

 

石碑には、「言忠信、行篤敬、雖蠻貊之邦行矣、言不忠信、行不篤敬、雖州里行乎哉」の論語の文字が刻まれています。渋沢栄一は、ここから、息子を「篤二」とし、孫を「敬三」と命名されました。

 

※言(い)うこと忠信(ちゅうしん)にして、行(おこな)い篤(とく)敬(けい)なれば、蛮貊(ばんばく)の邦(くに)と雖(いえど)も行(おこ)なわれん。言(い)うこと忠信(ちゅうしん)ならず、行(おこな)い篤敬(とくけい)ならずんば、州里(しゅうり)と雖(いえど)も行(おこな)われんや。

 【意味】言葉は誠実で約束を違える事がなく、行動は常に真心がこもっていて、つつしみ深く丁寧ならば、どんな野蛮な国に行っても、自分の思い通りに行われるようになる。しかし、言葉に誠実さがなく、行いもいい加減であったなら、自分の生まれ故郷でも自分の思い通りにはいかないだろう。

※「篤」は真心がこもっていること、他人を思いやる心が厚いこと。「敬」はつつしみ深いこと、丁寧にすること。

 

 

◆論語碑を訪ねた渋沢栄一(大正11年4月)

公益財団法人渋沢栄一記念財団ホームページ「渋沢栄一ゆかりの地」より

出典:『渋沢栄一伝記資料』別巻第十 (竜門社,1971)p.146 

画像名:論語碑 埼玉県北埼玉郡不動岡村総願寺境内(大正11年4月23日)

 

論語碑の大きさが実感されます。

 

 

◆不動ケ岡不動尊・総願寺(加須市)

Wikipediaより

 

不動ヶ岡不動尊総願寺は、埼玉県加須市で古くから信仰を集めている真言宗智山派の寺院です。正式名称は「玉嶹山(ぎょくとうさん))不動院總願寺」と言います。

 

仁和2年(866年)に重い病に掛かった光孝天皇の勅言により、三井寺の智証大師が彫った不動明王を祀ったのがはじまりとされ、成田山新勝寺、高幡山金剛寺とともに関東三大不動の一つとされる名刹です。

 

不動ヶ岡不動尊総願寺リンク(地図)  

 

 


◆渋沢栄一の書レプリカ等パネル展示

 

 

 

 

 

 

 

 

パネル展では、戸谷八商店にある渋沢栄一の書のレプリカも展示されていました。

多くの渋沢栄一翁の書を見ることができて大変勉強になりました。

 

 

 

 

杉沢正子様、ご招待いただきましてありがとうございました!!