翻訳家:宇野和美先生の『まめつぶこぞうパトゥフェ』

 

 

『スペイン・カタルーニャのむかしばなし まめつぶこぞうパトゥフェ』(文:宇野和美 絵:ささめやゆき)BL出版

 

 

こちらの絵本は、スペインの民俗学者ジュアン・アマダスが書いた『カタルーニャ民話選集』を底本に、宇野和美先生が翻訳されたお話です。

(姉からこの素敵な絵本を紹介してもらいました。宇野先生と姉は元PTAのお仲間とのことです。)

 

豆つぶほどしかない小さなパトゥフェは、好奇心旺盛な男の子。そんなパトゥフェがおつかいに出かけた時に起きたことは…。

カタルーニャ語で語り継がれてきた、小さな男の子のユーモアあふれる物語です。

絵は、版画家、イラストレーター、絵本作家と幅広い分野で活躍されているささめやゆき先生が担当されています。大らかで、心ほどける絵でした。

 

 

カタルーニャの人々にとって、物語の中の「パトゥフェ」がいかに重要な存在なのかについて、宇野先生はご自身のホームページの中で述べられています。

「カタルーニャ文学者の田澤耕先生は、私が『パトゥフェ』を日本語にしたと知ったとき、思わず拍手をしたくなるほどうれしかった、カタルーニャの人々にとって、『パトゥフェ』はアイデンティティの一部といってもいいほど大切な存在。それが日本語になった意味はとても大きいと思う、とおっしゃってくださいました。」(宇野和美先生のHP『訳者のいいわけ』より)

 

 

おつかいの時にパトゥフェが歌っている歌は、大人になっても多くの人が歌えるくらいに、カタルーニャの人々に親しまれている歌とのことです。

 

「パトゥフェはこう歌います。

"パタン、パティン、パトン、ふむなよ ふむなよ パトゥフェがいくよ"」

 

 

宇野先生は、パトゥフェの歌を翻訳していた時のことについて述べられています。

「パトゥフェがおつかいに行くときに歌う歌は、原書だと パティン、パタン、パトゥン Patin, patan, patun となっています。以前、サン・ジョルディの日に、カタルーニャの人たちの前で、カタルーニャ人の知人と二人でこの本を二か国語で読んだら、このくだりで全員が声をそろえて歌いだしたので、びっくりしたことがあります。

でも、日本語だとリズムにのりにくいかなと思って、途中原稿では、まったく違う日本語に変えていたのですが、最後は、ちょっと並びをかえて、パタン、パティン、パトン とすることにしました。原書のとおりではありませんが、小さいパトゥフェのはずんだ感じが出せたかな」(同HPより)

 

 

”パタン、パティン、パトン”…リズミカルで心地よい響きです。

 

 

 

◆En Patufet(パトゥフェ)


◆カタルーニャのクリスマスと”カガネー”

 

カタルーニャ地方では、「カガネー」と呼ばれる、翌年の豊穣を祈るためにクリスマスに飾られる人形があります。このフィギュアは幸運を招くと言われています。

 

『まめつぶこぞうパトゥフェ』のしめくくりでは、牛の”おなら”とともにパトゥフェがとびだして、塀にはまり込んでしまいます。この結末とカガネーとの関係性について、宇野先生は述べられています。

 

「このおならのエピソードは、『カガネー』という、うんちをする姿の人形に通じています。カタルーニャでは、クリスマスにかざる、イエスの生誕の場面をあらわした一連の人形のどこかに、やはり赤い帽子をかぶったカガネーをもぐりこませる風習があるのです。翌年の豊穣をねがうものともいわれますが、そこにはカタルーニャの質実剛健な農民の現実主義やユーモア精神も感じられるようです。」(『まめつぶこぞうパトゥフェ』あとがきより)

 

「カガティオ」毛布を掛けた丸太を棒で叩く少女  Wikipediaより

※丸太の断面に顔を描き、伝統の赤い帽子をかぶせる。下半身に相当する部分には親が菓子やおもちゃなどを隠しておき、その部分に白い布をかける。子どもは菓子を糞に見立てて「糞しろ、丸太、糞しろ丸太」と歌いながら白い布を棒などで叩くと、布の下にある菓子やおもちゃがもらえる。

 

 

 

 

パトゥフェの、野性的で(常識をはみ出していくような力強さ)、ユーモアあふれる姿を通して、カタルーニャの人たちが大切にしている世界観の一部を感じさせていただきました。

 

 

カタルーニャの素敵な物語を日本に紹介してくださって、ありがとうございます。