2021年5月1日より、『本庄城の御城印(ごじょういん)』の配布が開始されました。

 

 

 

2021年5月1日より、『本庄城の御城印(ごじょういん)』の配布が開始されました。

武蔵国児玉党の本庄氏の家紋「唐団扇」がデザインされているとのことです。

JR高崎線・本庄駅構内のお土産・観光案内「テラスバ(tarasuba 本庄)」において、300円以上の購入ごとに1枚いただけます。

 

テラスバ本庄では、お土産の和菓子・洋菓子、伝統工芸品、はにぽんグッズ等、地元本庄の品々が勢ぞろいしています。(今回はお土産のお菓子とはにぽんマスクを購入させていただき、御城印5枚をいただくことができました。)

 

 

■『テラスバ本庄』インフォメーションセンター(お土産・観光案内)

住所:埼玉県本庄市駅南2丁目1番4号

営業時間:9:00 ~ 21:00

ホームページ:https://www.terasuba.jp/

 

※テラスバ本庄についてはこちらもご覧ください。

 

「テラスバ本庄」で販売している地元のお菓子や工芸品など  ©テラスバ本庄
「テラスバ本庄」で販売している地元のお菓子や工芸品など  ©テラスバ本庄

『本庄城おもてなし武将隊』の皆様

『本庄城おもてなし武将隊』画像

Jun@コミュニティFMパーソナリティさんのツイッターより

 

『本庄本庄城おもてなし武将隊』の皆様は、本庄近朝(本庄城2代城主)の武勇と、本庄の歴史と魅力を伝える活動をされています。『本庄城御城印』配布開始の初日(5月1日)は、『本庄城おもてなし武将隊』の皆様の手渡しで御城印が配られました。

メンバーは、「本庄近朝正室・藍の方」さん、「本庄近朝の娘・彰姫」さん、「忍のお寧」さんの3名で、現在(2021年5月10日)「本庄近朝」の役を募集されているとのことです。

 

【公式】本庄城おもてなし武将隊ページ

本庄城おもてなし武将隊【公式】Twitter

藍の方のTwitter

彰姫のTwitter

寧のTwitter

 

 

「テラスバ本庄」内の御城印コーナー
「テラスバ本庄」内の御城印コーナー

JR高崎線・本庄駅構内にある「テラスバ本庄」

 


◆御城印(ごじょういん)とは

 

「御城印(ごじょういん)」とは、 半紙(和紙)に、城名や、ゆかりある城主の家紋や花押などの印を押したものです。 お寺や神社でいただける御朱印を参考にされていて、日本国内の城を訪問(登城)した記念に、1枚200~300円で購入することができます。

 

御城印を初めて提供したのは、現存する最古の五重天守を持つ国宝・松本城(長野県)とされています。

令和への改元を機に、御城印の提供を始める城が急増し、現在(2021年5月時点)では、全国約700城もの御城印が提供されているとのことです。

 

攻城団「全国御城印コレクション」ホームページにて御城印の検索ができます。

 

(埼玉県の御城印)


◆『本庄城』とは

~弘治2年(1556年)本庄宮内少輔実忠(ほんじょう くないしょうゆ さねただ)によって築城された平城~

 

【本庄城址】

住所: 埼玉県本庄市千代田3-2-3

本庄市役所の裏手にある城山稲荷神社が本庄城址で、鳥居の手前に城址碑が建てられています。 

遺構としては市役所付近に土塁が残っています。 

 

『本庄城』は、戦国時代の弘治2年(1556年)に、武蔵七党の児玉党を構成する本庄宮内少輔実忠(ほんじょう くないしょうゆ さねただ)によって築城された平城です。

利根川烏川に削られた段丘上にあり、北側の段丘の直下に小山川が流れ、南東は久城堀で切断されるという地勢は自然の要害でありました。

古河公方家を迎え撃つために、元の本拠地であった「東本庄館」から移したとされています。

 

◆第一次本庄城

・弘治2年(1556年)本庄宮内少輔実忠(ほんじょう くないしょうゆ さねただ)によって築城。

・本庄氏は、当初山内上杉氏に属する。

・永禄10年(1567年)北条氏邦(うじくに)軍に攻められ落城。(→後北条氏方に服属する)

・天正8年(1580年)、本庄実忠の死後、家督を継いだ本庄隼人正近朝(ほんじょう はやとのしょう ちかとも)が城主となる。

・天正18年(1590年)本庄近朝は、後北条氏とともに豊臣秀吉と対立し、小田原城へ籠城するも開城に際して自害。本庄城も小田原軍に攻められ落城し、鎌倉時代から本庄を支配してきた本庄氏は滅亡した。

 

◆第二次本庄城

・豊臣方の徳川家康の関東入国に伴い、信濃国の城主小笠原信嶺(おがさわら のぶみね)が1万石を賜って新城主となる。

・慶長十七年(1612年)、その嗣子小笠原信之(おがさわら のぶゆき、徳川四天王の一人酒井忠次の三男)が、古河城へ移封されたことにより、本庄城は廃城となる。

 

「本庄城の復元CGイメージ画像」 ※武州の城「本庄城の遺構」より

 

「本庄城想像図」 ※『本庄のむかし』(柴崎起三雄著)より

 

「小笠原氏居城期の城郭プラン推定図」 ※『本庄地元学だより 第31号』(増田未来望著)より

 


◆本庄の歴史とともに歩んできた『城山稲荷神社』

~社殿、境内、大鳥居~

 

 

本庄城跡に鎮座しているのが「城山稲荷神社」です。

本庄氏の築いた第一次本庄城のとき、「椿稲荷明神」を守護神としました

 

小笠原氏の代になって、第二次本庄城が築城のとき、「椿稲荷明神」を勧請し、深く尊崇しました。

 

残された城下町は大きく整備され、後世、中山道で最大の宿場町となる『本庄宿』が形成された後も、城山稲荷神社は、【五穀豊穣、商売繁盛の神】として『本庄宿』を中心とした人たちに篤く信仰されました。

 

明治時代から昭和時代初期にかけて、本庄市は全国有数の繭の集散地となりました。

そのときにも、城山稲荷神社は、【養蚕倍盛の神】として、「講」も組織され、例大祭には参拝者が列をなし、芝居や踊り、サーカス等の小屋掛けも行われ大いに賑わいました。

 

現在も、城山稲荷神社は、本庄市の桜の名所としても知られ、春になると境内の参道沿いに約80本もの桜が咲き誇ります。毎年4月の第2日曜日には、「城山稲荷春季大祭」が開催されています。

 

城山稲荷神社(本庄市)
城山稲荷神社(本庄市)

現在の社殿は江戸時代後期の天保15年(1844年)に建てられたものを、平成12年(2000年)に再建したものです。

また、石製の「大鳥居」は本庄の歴史とともに歩んだ当社の創建450年を記念して平成18年(2006年)に奉納されたものです。

 

神社前には、御神木である樹齢400年以上のケヤキの大木があります。

 

弘治二年(1556年)本庄実忠によって本庄城築城のとき献木されたと伝えられています。「城山稲荷神社のケヤキ」として埼玉県指定天然記念物に指定されています。

 

現在、城山稲荷神社の社殿と境内には、本町地内にあった八幡神社、八坂神社、天手長男神社、琴平神社が合祀されています。

 

創建450年を記念して奉納された「城山稲荷神社(本庄市)の大鳥居」
創建450年を記念して奉納された「城山稲荷神社(本庄市)の大鳥居」
『城山稲荷神社創建四百五十年記念碑」
『城山稲荷神社創建四百五十年記念碑」
樹齢400年以上の「城山稲荷神社のケヤキ」 ※埼玉県指定天然記念物
樹齢400年以上の「城山稲荷神社のケヤキ」 ※埼玉県指定天然記念物

お稲荷さんがいっぱいです。