~令和4年(2022年)は本庄高等学校創立100周年記念です~
「埼玉県立本庄高等学校」は、「埼玉県本庄市柏」にある男女共学の高等学校です。
通称は「本高」(ほんこう)です。
「埼玉県立本庄高等学校」の前身である「旧制本庄中学校」は、官立(公立)としては、浦和(一中)・熊谷(二中)・川越(三中)・春日部(四中)・不動岡(加須市)の後、六番目の旧制中学として、旧制松山中学校(東松山市)とともに、大正11年(1922年)に設立されました。
昭和22年(1947年)の新制高等学校への移行ののち、「県立本庄女子高等学校」(旧制本庄高等女学校)を統合し、共学化されました。
昭和27年(1952年) 、4期生の卒業とともに、『柏陵会』(はくりょうかい)と称して「埼玉県立本庄高等学校同窓会」が発足されました。
毎年9月には『柏樹祭(はくじゅさい)』(文化祭・体育祭)が行われています。
◆旧校舎
◆埼玉県立本庄中学校(旧制中学)第一回卒業生
埼玉県立本庄中学校 第一回卒業生(昭和2年3月11日)
※『柏陵会員名簿 平成十三年版』より
◆埼玉県立本庄高等学校 第一回卒業生
埼玉県立本庄高等学校 第一回卒業生(昭和24年3月3日)
※『柏陵会員名簿 平成十三年版』より
◆旧本庄高等女学校(大正5年3月卒業生記念撮影)
※旧本庄高等女学校の校舎は、昭和30年代まで、現在の本庄市立西中学校が位置する場所に建っていました。前列右から4番目の髭の人は、(戸谷家11代目)戸谷八郎左衛門(当時は町会議員)です。
『正門の桜』昭和24年4月に描かれた中村民夫画伯(高3回卒)による作品
※『柏陵会員名簿 平成十三年版』の表表紙
◆航空写真
『柏陵会員名簿 創立八十五周年版』より
◆埼玉県立本庄高等学校 ~伝統と躍進~
埼玉県本庄市柏にある男女共学の高等学校です。通称は「本高」(ほんこう)です。毎年9月には柏樹祭(文化祭・体育祭)が行われています。
【沿革】
■大正10年(1921年) 5月
埼玉県告示第188号により同11年4月より開校の旨告示。
■大正11年(1922年) 4月
『旧制本庄中学校』として開校する。(開校記念日は4月28日)
■昭和23年(1948年) 4月
新制度により『埼玉県立本庄高等学校』として発足。
■昭和23年(1948年) 9月
定時制課程設置。
■昭和25年(1950年) 7月
『本庄高等女学校』を「本庄高等学校」に統合。
■昭和27年(1952年) 3月
4期生の卒業とともに、『柏陵会』(はくりょうかい)と称して『埼玉県立本庄高等学校同窓会』が発足。
■平成 4年(1992年)11月
創立70周年記念式典挙行(食堂、合宿棟整備拡充、定時制ホール竣工)。
■平成10年(1998年) 3月
武道館が完成する。
■平成14年(2002年)11月
創立80周年記念式典挙行及び記念事業の完成。(旧正門の整備・記念碑)。
■平成24年(2012年)11月
創立90周年記念式典挙行。
■平成25年(2013年) 4月
進学重視型単位制 本庄高校開校。
■平成27年(2015年) 3月
全日制・定時制の食堂エアコン設置及び高等學校の校歌碑の設置。
■平成28年(2016年) 6月
旧制中學校、女學校の校歌碑を設置。
■令和 4年(2022年)11月
『創立100周年記念』
(参照)
◆本庄中学校・本庄高等学校【歴代校長】
※『柏陵会員名簿 創立九十五周年版』をもとに作成
◆本庄高等女学校【歴代校長】
◆校章・校歌・校歌碑
■埼玉県立本庄高等学校
校歌(埼玉県立本庄高等学校)
■埼玉県本庄高等女学校
校歌(埼玉県本庄高等女学校)
■埼玉県立本庄中学校(旧制本庄中学校)
校歌(埼玉県立本庄中学校)
◆旧制中学校の校歌の中で詠まれた「塙保己一翁」
※今年(令和3年)は塙保己一翁没後200周年記念の年です。
旧制中学校校歌の中にある歌詞『心の眼朽ちせぬ光猛(たけ)き』は、郷土の偉人・塙保己一翁の偉業をたたえて詠まれたものです。
◆埼玉県立本庄高等学校同窓会 狩野 輝昭会長(高18回卒)
埼玉県立本庄高等学校同窓会
会長 狩野 輝昭氏(高18回卒)
【略歴】
グローバルソフトウェア代表取締役会長。本庄商工会議所第11代会頭。社会福祉法人メープル福祉会理事長。本庄地区警察官友の会監事。(社団)本庄法人会常任理事元雇用対策協議会会長。本庄ロータリー49代会長。令和2年(2020年)旭日小綬章を受章。
◆【歴代同窓会長】
初代:増沢 清茂会長〈旧中1回卒〉
昭和27年(1952年)4月~昭和32年(1957年)5月
第2代:塩原 英雄会長〈旧中2回卒〉
昭和32年(1957年)5月~昭和36年(1961年)6月
第3代:富沢 貞次会長〈旧中3回卒〉
昭和36年(1961年)6月~昭和44年(1969年)7月
第4代:増沢 清茂会長〈旧中1回卒〉
昭和44年(1969年)7月~昭和49年(1974年)6月※2期目
第5代:持田 直次会長〈旧中7回卒〉
昭和49年(1974年)6月~昭和59年(1984年)6月
第6代:岡 祐孝会長〈旧中9回卒〉
昭和59年(1984年)6月~平成 6年(1994年)6月
第7代:戸谷 全克会長〈旧中23回・高1回卒〉
平成 6年(1994年)6月~平成20年(2008年)6月
第8代:諏訪 秀一会長〈高5回卒〉
平成20年(2008年)6月~平成25年(2013年)1月
会長代行:飯塚 隆司氏〈高5回卒〉
平成25年(2013年)1月~平成26年(2014年)6月
第9代:狩野 輝昭会長〈高18回卒〉
平成26年(2014年)6月~現在
(参照)
本庄高等学校同窓会(柏陵会)HP「会報誌バックナンバー」より
(父・戸谷全克(第7代同窓会長/旧中23回・高1回卒)が編集にかかわらせていただいた「70周年記念誌」・「80周年記念誌」・「柏陵会員名簿」等です)
活躍する同窓生
◆黒澤 信男(くろさわ のぶお)画伯【高1回卒】
黒澤信男氏(高1回卒)は、本庄市生まれです。日本の四季のうつろい、大自然の空間性風景の雄大さ、雪景を緻密に描写、それぞれの雪質までも繊細さを描いて写実風景画の第一人者です。
(父:戸谷全克と同級生でした。)
昭和5年(1930年)埼玉県本庄市生まれ。
昭和22年(1947年)水彩連盟展に入選。
昭和24年(1949年)白日展入選。
昭和27年(1952年)日展入選。
昭和28年(1953年)東京芸術大学卒業。白日会展準会員努力賞受賞。
昭和34年(1959年)白日会 会員推挙。
昭和54年(1979年)白日会記念展内閣総理大臣賞受賞。ソビエト招待旅行。
平成4年(1992年)日展特選受賞。
平成8年(1996年)白日展中沢賞。
平成15年(2003年)画業50周年記念「黒沢信男大作画集」刊行。
銀座・日動サロン他個展開催多数。
◆埼玉経済同友会顧問 増野 武夫氏【高3回卒】
同窓会報『柏陵』21号(平成7年6月5日)より(PDF5.8MB)
増野 武夫氏は、本高3回卒、埼玉銀行元頭取、平成5年度~平成15年度まで「埼玉経済同友会」代表幹事を務められました。(埼玉経済同友会初代代表幹事は、本庄市出身の諸井虔氏です。)
現在は、埼玉経済同友会、一般財団法人埼玉県人会、本庄高等学校同窓会の顧問を務められています。
◆中村 民夫(なかむら たみお)画伯【高3回卒】
■中村民夫氏画歴
(『中村民夫油彩・水彩作品集 2013』より引用)
1932年(昭和7年)11月18日 埼玉県本庄市七軒町2756番地(現 本庄市銀座)に生まれる。
1946年(昭和21年)堀英治氏に素描の手ほどきを受ける。以降、氏を師とする。
1947年(昭和22年)第1回麓原会公募展に出品 以降現在まで出品。水彩連盟に出品。
1951年(昭和26年)第1回埼玉県展に出品。以降20回位出品。第7回日展に出品。
1952年(昭和27年)第8回日展に出品。
1953年(昭和28年)白日会展に出品。以降15回位出品。
1955年(昭和30年)埼玉大学教育学部美術学科入学。油彩画技法を学ぶ。
1959年(昭和34年)第1回埼玉県北美術展に出品。以降つづけて出品。
1960年(昭和35年)弟10回埼玉県美術展(10回記念賞)
1961年(昭和36年)第11回埼玉県美術展(県知事賞)
1963年(昭和38年)第7回安井賞候補展に出品。第1回中村民夫個展。以降、熊谷・高崎・本庄・伊勢崎の各市において23回の個展。
1967年(昭和42年)ヨーロッパ長期美術視察旅行。
1998年(平成10年)中村素描研究所「ギャラリー和可」設立。研究会発足(第3土曜日)。
2007年(平成19年)藤岡美術会展に出品。以降、つづけて出品。
2009年(平成21年)中村民夫素描研究所所蔵展「ゴヤ作版画展」
2011年(平成23年)中村民夫個展・出版記念展(東京・京橋)
2011年(平成23年)第1回「中村民夫素描集」出版記念展。
2012年(平成24年)第2回「中村民夫素描集」出版記念展。
その他 自由出品:現代リアリズム展・彫好会展・高崎平和美術展・藤岡美術会展。
◆柴崎 起三雄(しばさき きみお)氏【高10回卒】
※本庄ケーブルテレビ様の番組『本庄市の歴史と文化遺産を訪ねて(第14話)』の撮影時(2020年7月12日)
柴崎起三雄先生は、元中学校長で、本庄の歴史に関する第一人者です。本庄市文化財保護審議会委員長を務められ、街づくりにも多大なる貢献をされてこられました。父も私も大変お世話になっている先生です。
【ご著書】
『本庄のむかし』(2010.11刊行)
『本庄のむかし こぼれ話』(2017.7刊行)
『本庄人物事典』(2003.6刊行)
『本庄の歴史と城山稲荷神社~稲荷神社創建450年記念誌』(2006.3刊行)等
◆関口 芙沙恵(せきぐち ふさえ)氏【高14回卒】
関口芙沙恵氏(高14回卒)は、群馬県伊勢崎市境島村出身です。
埼玉県立本庄高等学校を卒業し、島村蚕種のほか、税理士事務所や新聞社などへの勤務を経て、1990年、『蜂の殺意』で第8回サントリーミステリー大賞読者賞を受賞し、小説家デビュー。
主な著書『2時間7分の身代金』、『修羅の川』、『玻璃の橋』、『いのちの桜-田島弥平物語-』他。(社)日本文藝家協会会員。
幕末期の群馬・本庄・深谷・岡部を舞台とした利根川や生糸産業にかかわる人たちが描かれています。当時の様子が感じられる貴重な本です。
◆第120代埼玉県議会議長 小林 哲也氏【高30回卒】
【略歴】
熊谷市出身(1959年4月5日生)
昭和53年 埼玉県立本庄高校卒業(高30回卒)
昭和58年 中央大学 経済学部卒業
昭和58年 (株)岡三証券入社
昭和61年 (有)小林瓦店入社
平成15~平成31年 埼玉県議会議員選挙当選5回
平成29年3月~平成30年3月 第120代 埼玉県議会議長
令和2年 予算特別委員会委員長/県土都市整備委員会/危機管理大規模災害対策特別委員会
◆埼玉県議会議員 飯塚 俊彦氏【高31回卒】
第6回本庄市長杯ボーイズリーグ大会式典にご出席の飯塚俊彦県議(2020年11月)
【略歴】
本庄市出身(1960年10月18日生まれ)
昭和54年 埼玉県立本庄高校卒業(高31回卒)
平成22年~平成26年 本庄市議会議員
平成27年~現在 埼玉県議会議員(北3区)
産業労働企業委員/地方創生・行財政改革特別副委員長/図書室委員長
◆中林 美恵子(なかばやし みえこ)氏【高31回卒】
中林美恵子氏による講演会「本高から世界に向けてチャレンジ」の様子(2016年6月14日本庄高等学校内)
テレビ、雑誌等のメディアでで大活躍中の早稲田大学教授:中林美恵子さん(高31回卒)。
埼玉県深谷市生まれ。大阪大学大学院国際公共政策研究科博士後期課程修了。米国ワシントン州立大学大学院政治学部修士課程修了。米国在住14年間のうち、永住権を得て1992年に日本人として初めてアメリカ連邦議会・上院予算委員会スタッフ(国家公務員)として採用され、約10年にわたり米国家予算編成に携わる。2002年に帰国し、大学での教職、政府審議員、衆議院議員(2009~2012年)などを経て、早稲田大学教授。著書多数。
先日(2020年11月21日)放送された『出没!アド街ック天国 ~埼玉 本庄~」にもご出演されて、本庄の思い出について述べてくださっていました。
◆外務省の荻野 正裕氏【高33回卒】
2016年11月24日本庄高等学校で講演をする荻野正裕氏
本高時代は山岳部で活躍されたという外務官の荻野氏。
平成28年(2016年)11月24日、本庄高等学校体育館で、荻野正裕氏(高33回卒)を講師とする「高校講座」が開催されました。この講座は、外務省が全国の高校に職員を派遣し、多くの生徒が海外に興味・関心を持つ中で、本講座を通して、外交や国際問題、異文化に対する理解を深めることを目的として実施されました。
講演のテーマは『われらは世界とともにあり~グローバルに生きるために~』。最後に「本高生にはもっと努力をしてほしい。将来、どのような職業に就くとしても世界とかかわらずにやっていくことはできない。世界の国々にもっと関心をもって生活してほしい。」とメッセージを残されました。
出典:埼玉県立本庄高等学校同窓会(柏陵会)HP/埼玉県立本庄高等学校HP
本庄にゆかりのある合唱団
本高OB・OGの方も多数参加されています。
◆柏グリーンハーモニー合唱団
飯浦 直哉氏(指揮)
「柏グリーンハーモニー合唱団」は、飯浦氏の新任校である埼玉県立本庄高等学校音楽部卒業生を母体として生まれたところから、母校のシンボル柏葉を冠した団名となりました。その後は市民合唱団として県北を中心に活動を続け、2017年に創立50周年を迎えています。
浦野 実成【高30回卒】
本庄髙校を卒業後、東京藝術大学大学院修了。
ミュンヘン国立音楽大学大学院卒業後ハーゲン市立歌劇場専属歌手となる。
現在は、バイエルン国立歌劇場専属合唱団及びミュンヘン国立音楽大学声楽非常勤講師、国内のオペラなど多数出演。
◆本庄混声合唱団
~「麓原会(ろくげんかい)」「本庄文学座」とともに戦後の本庄を元気づけ、本庄高等学校から誕生した埼玉県で最も歴史のある合唱団~
「本庄混声合唱団」は、昭和29年(1954年)埼玉県立本庄高校音楽部OB会『柏グリークラブ』として発足した埼玉県で最も歴史のある合唱団です。昭和33年(1958年)『本庄混声合唱団』と改称。
【本庄混声合唱団の略歴】
■昭和27年(1952年)
埼玉県立本庄高校男女共学化。新校歌制定。校歌発表を目指して音楽部(混声合唱団)結成。
■昭和29年(1954年)
本庄高校音楽部OBにより『柏グリークラブ』結成。
■昭和29年(1954年)
本庄文学座公演『想い出を売る男』幕間に初舞台。
■昭和30年(1955年)
埼玉県立本庄高等学校同窓会 。第二常磐座(映画館)で校歌3曲を演奏。
■昭和31年(1956年)
小池芳二郎氏(山田和男門下)を常任指揮者に迎える。
■昭和33年(1958年)
『本庄混声合唱団』と改称。
■昭和35年(1960年)
小池氏辞任。児玉久氏が団員指揮者となる。
■昭和38年(1963年)
埼玉県合唱コンクール初参加で優勝(V3以後不参加)。
■平成14年(2002年)
本庄混声合唱団50周年。
■令和 3年(2021年)
本庄混声合唱団69周年。
(参考)本庄混声合唱団ホームページ・本庄混声合唱団の歴史・本庄混声合唱団の「演奏会の記録」・本庄混声合唱団「定期演奏会以外のコンサート」
『ここに泉あり』昭和30年(1955年)
監督:今井正 脚本:水木洋子 出演:小林桂樹・岡田英次・岸恵子・山田耕筰・室井摩耶子
昭和30年(1955年)に公開された『ここに泉あり』は、群馬交響楽団(昭和20年創設)の草創期を描いた映画です。大ヒットとなり、群響の名を全国区にしました。
終戦直後、日々の生活に苦しみながらも人々に音楽の喜びを伝えようと、山奥の分校まで「移動音楽教室」に出かける群馬交響楽団の、苦悩と奮闘が描かれています。(群響の「移動音楽教室」には、小澤征爾氏も指揮者として参加されています。(2003年放送NHK『プロジェクトX~挑戦者たち~ 第九への果てなき道、貧乏楽団の逆転劇』より)
同時期の昭和27年(1952年)に本庄市で「柏グリークラブ(本庄混声合唱団の前身)」が誕生します。
群響の移動音楽教室は、埼玉県北部まで巡演しており、柏グリークラブのメンバーは、映画のモデルとなった群響の「移動」を実際に小学校で聞いた世代です。昭和31年(1956年)には、 群響で常任指揮者を務めた小池芳二郎氏(山田和男門下)を常任指揮者に迎え、「音楽の喜びを全ての市民に(児玉久氏)」をモットーに、戦後の本庄を音楽の力で元気づけ続けられました。(本庄混声合唱団の歴史より)
◆本庄麓原会で活躍されている画家中村民夫氏の言葉
「戦後の貧しかった時代、本庄は文化活動が盛んだったんだ。特に麓原会、文学座、本庄混声合唱団の三つは、早くから本当の芸術を志向していた、郷土が他に誇るべきグループだった。今、価値観が多様化してホンモノが見えにくくなっているが、地道な活動を続けているわれわれは、先進的な先輩の意志をついで頑張らなくては」(本庄混声合唱団の歴史より)
◆本庄第九を歌う会
「第1回本庄♪第九演奏会」(2016年)パンフレット
会報「柏陵」49号 平成30年(2018年)10月31日発行【PDF10.5MB】より
プロの指揮者、オーケストラ、ソリストとともに、本庄市及びその近隣に在住の方々が合唱団員として参加する『本庄第九演奏会』が2016年と2019年、本庄市民文化会館で開催されました。
主催者である『本庄♪第九を歌う会』の副実行委員長は、中山由紀子氏(高25回卒)です。
●平成28年(2016年)5月 第1回本庄第九演奏会
●平成31年(2019年)4月 第2回本庄第九演奏会《平成最後の第九演奏会》
世代を超えて市民が一つになって「歓喜の歌」を歌う姿は圧巻でした。
アルト:坂上賀奈子氏と、バス:浦野智行氏(高33回卒)は本庄市出身です。
(2020年年末に本庄ケーブルテレビ様でも放送されました。)
『本庄発』映画の紹介
本庄市発の映画『JAZZ 爺 MEN』と『たった一度の歌』。
監督は、早稲田大学の本庄キャンパスにある情報通信系大学院で映像研究を修了されている宮武由衣監督です。
どちらの作品も、本庄市と児玉郡の風景や街並み、人の絆が描かれていて心温まる映画でした。
この先ずっと、本庄の人たちにとって誇りになる映画だと感じました。
※2023年6月16日より公開された宮武由衣監督の最新映画『魔女の香水』については、こちらをご覧ください。
◆宮武由衣監督『JAZZ爺MEN』
戸谷八の蔵も、映画のワンシーンとして10秒程出ています。
その際は、父もお世話になっていたの川上芳男氏(映画のエグゼクティブ・プロデューサー・本庄高等学校18回卒)にご指導いただきました。
(戸谷八から愛宕山神社まで)
第1弾 本庄拠点地域映画『JAZZ爺MEN』(2011年10月29日公開)
映画のエグゼクティブ・プロデューサー:
岡田隆行・川上芳男(本庄高等学校18回卒)・佐々木輝伸・阿久根裕行
監督・脚本:宮武由衣
出演:井上順、河原さぶ、上田耕一他
撮影監督:高間賢治JSC (『ラヂオの時間』『デスノート』)
音楽:磯田健一郎(『ナビィの恋』『ホテルハイビスカス』)
美術:和田洋(『限りなく透明に近いブルー』『GO』)
製作総指揮:吉田信解
制作:イメージフィールド
製作:彩の国本庄拠点フィルムコミッション「本庄拠点地域映画製作委員会」
(※敬称略)
本庄市の町おこしのために結成された即席市民ジャズバンドを通して、不器用に生きてきた大人たちがそれぞれの人生に向き合っていく姿が描かれています。
◆宮武由衣監督『たった一度の歌』
第2弾 本庄拠点地域映画『たった一度の歌』(2018年6月22日公開)
映画のエグゼクティブ・プロデューサー:
岡田隆行・川上芳男(高校18回卒)・志村茂・佐々木輝伸・蓮沼康永
監督・脚本:宮武由衣
出演:高橋和也、岡田浩暉、UEBO他
撮影監督:猪本雅三
音楽:小林洋平
美術:和田洋
製作総指揮:吉田信解
製作:映画「たった一度の歌」制作委員会
(※敬称略)
舞台となった本庄市を中心に、神川町・美里町・上里町の美しい田園風景等、誰もが哀愁を感じる映画です。
いつか『本庄発映画 3部作』が完成する日を心待ちにしています!!
亡き父 戸谷全克は、本庄高等学校の第1回卒業生(旧制中学23回卒)です。旧制中学から新制高校への学校制度の変化時に生徒だったこともあり、父は、柏にある校舎には6年間通い続けていました。6年という長い期間通い続けていたため、非常に愛校心が強かったです。そのため、第6代同窓会長 岡 祐孝先生に強く勧められ、母校にご恩返しができるのならと、第7代同窓会長(平成6.6~平成20.6)を引き受けさせていただきました。父はいつも楽しそうに、歴史と伝統ある本庄高等学校同窓会のお仕事をさせていただいておりました。
岡 祐孝先生(旧中9回卒・第6代本庄高等学校同窓会長)、高橋 福八氏(本庄商工会議所名誉会頭)、竹並 榮一郎氏(高2回卒・父が同窓会長時の副会長)、清水 正一氏(高6回卒・父が同窓会長時の会計)、現本庄高等学校同窓会長の狩野 輝昭氏(高18回卒)、川上 芳男氏(高校18回卒)等、周りの方たちに恵まれていたからこそ、同窓会長職を務めあげることができたのだと話しておりました。来年(令和4年)の『本庄高等学校100周年記念』を父も心から喜んでいると思います。