本庄市役所の市民ホールで展示中の『本町の神輿(みこし)』と『四神剣(しじんけん)』を見に行ってきました。

 

 

本町自治会の神輿(みこし)と四神剣(しじんけん)が、2021年7月6日(火)~7月10日(土)まで、本庄市役所の市民ホールで展示されました。

 

 

◆本町の神輿(みこし)と四神剣(しじんけん)

 

本町の神輿(みこし)は、江戸時代中期の明和4年(1767) 大阪の宮屋九郎兵衛によって製作されたものです。(神輿には、「細工人 大阪北御堂筋宮屋九郎兵衛 明和四丁亥都市十一月」と墨書されています。)翌年明和5年(1768)より、市神様の祭礼日に神輿渡御(みこしとぎょ)が行われました。

現在、本庄市の指定文化財になっています。

 

◆本庄ケーブルテレビ様にて放送(7月6日)

 

2021年7月6日放送の本庄ケーブルテレビにて、本町自治会長の清水 正一氏と、本町八坂奉賛会長の奥野 浩昭氏が、現在本庄市役所市民ホールで展示中の「本町の神輿と四神剣」についてご紹介されました。

 

「この度、本来ならば、本庄祇園まつりという夏のお祭りの日が間もなくなのですけれども、残念ながら、コロナの問題で昨年同様中止となってしまいました。本町自治会としては、この本庄市役所も本町の町内に入るものですから、このロビーをお借りして、宮神輿(みやみこし)の展示をさせていただきました。この宮神輿は本庄の指定文化財になっております。同時に、四神剣(しじんけん)という、今から5年くらい前に新調してつくったものなのですが、これは、東西南北、町内を守るという意味があるそうです。宮神輿についても、本来なら担いで巡行するのですが、このような時期ですから、ロビーに展示させていただきました。

少なくとも来年は、この宮神輿や、担いで回る神輿でまちのなかを練り歩くことができればと思っております。コロナの終息が早期になりますことを願っております。」

 

 

◆本庄祇園まつり発祥の地

 

本庄の祇園祭りは、今から約350年前の寛文3年(1663)に本町のこの場所から始まった。牛頭天王(ごずてんのう)を祀った市神様の祭で、京都と同じに祇園會(ぎおんえ)と呼ばれた。

明和5年(1768)に始められた神輿渡御(みこしとぎょ)もすでに240年の歴史を持つ。

この御旅所(おたびしょ)に安置されている神輿は当時のもので、大阪の宮屋九郎兵衛が、明和4年(1767)に製作し、現在は本庄市有形民俗文化財に指定されている。

神は神輿に乗り、疫病や災難を祓い神の恵み与えるために氏子域をまわり、休憩交流の場所が御旅所(おたびしょ)である。

獅子舞は、津島神社(牛頭天王)を祀る台町が、江戸時代初期に台町の開発を援助した本町に対する返礼として寛文7年(1667)に本町市神様にも奉納を始めたもので、以来、昭和初期まで神前奉納が続いた。

明治初年、国の宗教政策により、天王社が八坂神社と改名されてからは、祭神も素盞嗚尊(すさのお)とされた。

平成19年7月吉日 本町自治会」 ※『本庄祇園まつり発祥の地』案内板より

 

 

◆神輿(みこし)の紋

~本町の神輿の紋は「木瓜紋(もっこうもん)」~

本町の神輿の「木瓜紋」
本町の神輿の「木瓜紋」

「現在の神輿のほとんどが『巴紋』を用いているのに対し、明和四年の本町神輿は厨子造りの宮神輿で、京都の祇園社(八神社)の神紋と同じ『木瓜紋(もっこうもん)』を用いており、本庄市の文化財にも指定されていて、一般的な『町御輿』とは異なる。

なお、本町には牛頭天王軸、 『猿田彦御装束・全具』収納箱・神官用笠(文化一三年)及び吹き流し四旗(大正四年)、弘化二年『祇園会世話人連名帳』などが残されている。」『本庄のむかし こぼれ話』(柴崎起三雄著)P58より

 

※木瓜紋は、胡瓜(きゅうり)を輪切りにした図案との説もあり、胡瓜を神物としてたっとび、氏子・崇敬者は祇園祭の期間中は胡瓜を口にしない習慣を残しています。『本庄の歴史と城山稲荷神社』本庄市本町(P32)より

 

 

『本庄の歴史と城山稲荷神社』本庄市本町(P29~32)より

 

本町には、江戸時代中期の明和4年(1767年)制作の初代神輿のほかに、渡御(とぎょ)に使われた「白丁装束」、「大正2年奉納の鉾旗(吹流し)」「祇園祭典記録」、「神輿金弊」等、本庄祇園まつりの歴史を伝える貴重な品々が残されています。

 

 


◆中山道本庄宿の『市神様』

~本町の市神「下天王社」と新田町の市神「上天王社」2つの市神様~

 

「中山道最大の宿『本庄宿』の再発見」(北部地域振興センター本庄事務所)をもとに作成
「中山道最大の宿『本庄宿』の再発見」(北部地域振興センター本庄事務所)をもとに作成

 

かつて、中山道「本庄宿」には、本町の市神(下天王社)と新田町の市神(上天王社)2つの市神様が中山道沿いに祀られていました。どちらも牛頭天王(後に素盞嗚尊)をご祭神としています。

 

『祇園まつり』の発祥となる『市神様』が本庄宿にできたのは寛文3年(1663)です。徳川家康が江戸に幕府を開き、主要街道が鎌倉街道から中山道に移ったことで、月6回(2・7の日)の定期市を維持できなくなった元榛沢村(はんざわむら)から、本庄宿が交渉によって定期市の権利とともに市神様を譲り受けることになりました。定期市は本町、中町、上町で開かれ、市神様は本町の田村本陣前の高札場脇に祀られ、6月27日を祭礼日と定めました。

その後、新田町(宮本町・泉町)にも家数が増え、街並みも広がったことで、享保3年(1718)より新田町でも市の開催が認められ、現在の市立図書館前の中山道端に新たに市神様を祀り6月17日を祭礼日としました。

これにより本町市神社は”下天王社”、新田町市神社は”上天王社”と呼ばれるようになります。『稲荷神社総研450年記念誌 本庄の歴史と城山稲荷神社』本庄市本町(P29)より

 

 

◆牛頭天王(ごずてんのう)は素盞嗚尊(すさのおのみこと)

 

「宗教に寛容な日本人は神徳から牛頭天王(インド)と素盞嗚尊(日本)と薬師如来(中国)は同一神であると考えていた。

文化・文政期に書かれた『新編武蔵風土記稿』には、市内に市神天王社2社(上天王・下天王)、牛頭天王社(大正院持)、牛頭天王(威徳院)、天王社(慈恩寺)の六社が見られ、防疫神である牛頭天王は各町内に祀られていたことがわかる。」『本庄のむかし こぼれ話』(柴崎起三雄著)P59より 

 

 

◆本庄祇園まつりの起源

~祇園まつりの始まりは”市神様まつり”~

 

「江戸時代、本庄宿は商業発展を目指し、月六回の定期市を開くことを定め、本町、中町、上町の三町が隣の榛沢村(はんざわむら)に交渉し、市開催の権利と市神様を譲り受けた。寛文三年(1663)のことである。

譲り受けた市神様の石宮は、中山道の田村本陣前に祀られ、本町が市神様の管理や祭などを仕切ってきた。

この市神様の祭礼が本庄祇園まつりの起源である。『本庄のむかし こぼれ話』(柴崎起三雄著)P57より

 

「田村本陣前高札場」 ※『本庄の歴史と城山稲荷神社』本庄市本町(P28)より
「田村本陣前高札場」 ※『本庄の歴史と城山稲荷神社』本庄市本町(P28)より

 

本町の市神様(下天王社)は、田村本陣前の高札場脇に勧請されました。

 

 

◆明治以降の本町の市神様

~城山稲荷神社に3神合祀された(稲荷社・八幡社・本町の八坂神社)~

 

 

「明治維新になり、維新政府は日本神道を重んじ、それ以外は好ましくないとしたため、祭神の牛頭天王は素盞嗚尊とされ、京都の祇園社は地区の名を冠した八坂神社に改められたことから、全国の天王社もこれにならい八坂神社に変更され、台町の津島神社も八坂神社に改められた。

 

自動車の時代を迎えると本陣前に置かれた下天王と呼ぶ市神様(八坂神社)は中山道通行の支障となり、明治12年、円心寺境内の八幡神社に合祀され、以後の祇園祭には中山道に御仮舎(おかりや)を設けて行われるようになった。

 

また、明治45年には、八幡神社とともに城山稲荷神社に移転され、更に平成12年、稲荷神社の社殿建て替えにともない、『稲荷、八幡、八坂(市神)の三神合祀殿』となり、八坂の石宮は合社殿の中に納まり、祇園まつり発祥の八坂神社(市神様)の姿は外から見えなくなり、その存在がいつか忘れられ、本町による御神幸祭の途絶えたことも一因して、台町の八坂神社が祇園まつり発祥の神社と思われるようになった。

 

本町では社殿建て替えを期に戦後途絶えていた『神輿の宮出し』を復活、更に平成27年に城山八坂神社より中山道御仮屋まで、猿田彦が先導を務める『御神幸祭(ごしんこうさい)』を復活させた。」『本庄のむかし こぼれ話』(柴崎起三雄著)P59~60より

 

※新田町の八坂神社(上天王社の市神様)については、明治33年に金鑚神社境内へ移転され、現在は宮本町、泉町がともに町内の氏神とされいます。

 

 


◆城山稲荷神社(本庄市)

~本町の八坂神社(下天王社・市神様)は3神合祀で祀られている~

城山稲荷神社(本庄市)
城山稲荷神社(本庄市)

 

 

城山稲荷神社(3神合祀殿)の内部 ※『本庄の歴史と城山稲荷神社』本庄市本町(P28)より
城山稲荷神社(3神合祀殿)の内部 ※『本庄の歴史と城山稲荷神社』本庄市本町(P28)より

城山稲荷神社社殿は「3神合祀殿」です。左から、「八幡社」・「稲荷社」・「(本町)八坂神社」が祀られています。

 

 

◆本町の八坂神社(下天王社の市神様)

(本町)八坂神社 ※『本庄の歴史と城山稲荷神社』本庄市本町(P27)より
(本町)八坂神社 ※『本庄の歴史と城山稲荷神社』本庄市本町(P27)より

 

 

◆平成12年 城山稲荷神社での「本町の八坂神社 宮出し」の復活

神輿の宮出しの様子(平成12年[2000年]) ※『本庄の歴史と城山稲荷神社』本庄市本町(P31)より
神輿の宮出しの様子(平成12年[2000年]) ※『本庄の歴史と城山稲荷神社』本庄市本町(P31)より

 

 

◆「本町祇園祭御神幸祭」のコース

~猿田彦を先頭に、「城山八坂神社」から「中山道御仮屋(おかりや)」まで本町の神輿が渡御する~

 

 

「御神幸祭(ごしんこうさい)」では、「城山八坂神社」から神霊が宿った”みたま”を本町の神輿に移して、猿田彦を先頭に「中山道御仮屋(おかりや)」まで神輿渡御します。

 

 

◆「御神幸祭(ごしんこうさい)」とは

 

神輿渡御(みこしとぎょ)の目的は、神様を神輿に移して氏子域(町内)を巡行し、氏子の幸や商業の繁栄を祈り、またわざわい災厄を取り除き、疫病を追い払い、人々に神の威光を示すことにある。

 

神輿渡御(みこしとぎょ)に当たっては、神々が地上に降り立つ時に道案内役を務めたとされる猿田彦(さるたひこ)という神が神輿を先導し、神官や榊、旗、吹き流し、太鼓などがつき従う。この祭礼行列による巡行を御神幸祭(ごしんこうさい)と呼んでいる。」『本庄のむかし こぼれ話』(柴崎起三雄著)P58り

 

「御神幸図」 『本庄の歴史と城山稲荷神社』本庄市本町(P30)より
「御神幸図」 『本庄の歴史と城山稲荷神社』本庄市本町(P30)より

◆平成27年「本町祇園祭御神幸祭」の復活

「本町祇園祭御神幸祭」(平成27年[2015年]) ※『本庄のむかし こぼれ話』(柴崎起三雄著)P60より
「本町祇園祭御神幸祭」(平成27年[2015年]) ※『本庄のむかし こぼれ話』(柴崎起三雄著)P60より

平成27年(2015)「城山八坂神社」から「中山道御仮屋(おかりや)」まで、猿田彦が先導を務める「御神幸祭」が復活しました。

 

 

◆本町の「四神剣(しじんけん)」

~東西南北、町内を守るという意味があるという「四神剣」~

本町の四神剣(四神旗) ※幕には、左から、白虎(西)・朱雀(南)・青龍(東)・玄武(北)の絵が刺繍されています。
本町の四神剣(四神旗) ※幕には、左から、白虎(西)・朱雀(南)・青龍(東)・玄武(北)の絵が刺繍されています。

本町八坂神社への四神旗(しじんき)奉納式(2017年7月)

 

金鑚神社の中山宮司様が式を執り行ってくださいました。

本庄自治会長の清水正一氏は前列に座っておられます。

清水氏は、本町の祭りの時も中心になって面倒を見てくださっています。

 

 

本町の神輿の”大鳥”
本町の神輿の”大鳥”

 

 

本庄市役所
本庄市役所