2021年8月12日(木) 画家の中村民夫先生が戸谷八商店に来てくださいました。昭和63年(1988年)、劇団「本庄文学座」は、埼玉会館(浦和区)にて、渋沢栄一翁を題材にした『雲遥かなり』を上演したと教えてくださいました。

~そのときのポスターの絵は中村先生が描かれました。埼玉会館は、渋沢栄一翁が中心となり、昭和天皇の御成婚を記念して建てられたものです。~

 

 

 

中村民夫先生が戸谷八商店をご訪問くださいました。

中村先生は本庄市で有名な画家の方で、姉の中学時代の恩師(美術の先生)です。

 

「麓原会(ろくげんかい)」で現在も活躍されていらっしゃる本庄を代表する画家です。

 

「麓原会(ろくげんかい)」は、「本庄文学座」と並んで、戦後まもなく、古川弘先生を中心として、堀英治先生、山田鶴佐久先生、金井邦松先生たちによって発足されました。敗戦による社会混乱の中で意気消沈していた若者たちが、絵画を通して元気を取り戻そう、本庄・児玉地域に文化の灯をともそうという志で始めた絵画団体です。

 

※中村先生の画歴等についてはこちらをご覧ください。

 

※「麓原会」についてはこちらをご覧ください。

 

第71回麓原展(2019年11月2日~4日開催)
第71回麓原展(2019年11月2日~4日開催)

◆『中村民夫素描集』(2010年)

 

 

◆『中村民夫油彩・水彩作品集2013』

 

中村先生の作品からは、対象や絵そのものが持つ本質的な「美」が感じられて、圧倒されます。

 

このたび、中村民夫先生の画集『中村民夫素描集』(2010年)と『中村民夫油彩・水彩作品集2013』につきまして、戸谷八商店でも置かせていただくことになりました。どうぞよろしくお願いいたします。

 

 


◆「本庄文学座」と中村先生

 

「麓原会(ろくげんかい)」の他に、戦後の本庄の文化面から復興させたのは、「本庄文学座」でした。

テレビ時代の到来によって一時衰退しますが、昭和62年、本庄文化会館で『王将』が再演されました。

 

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■昭和22年(1947年)旗挙げ公演「父帰る」第二常磐座(照若町)にて行われる

当時の有力メンバー:塩原圭次郎氏、五州園主人、萩原順氏、飯野利衛氏、塩原東海男氏

 

■昭和30年代後半に一時衰退

 

■昭和62年(1987年)本庄文学座が復活し「王将」が再演される

有力メンバー:飯野利衛氏、小林平七氏、高橋康文氏、清水正一氏

 

■昭和63年(1988年)渋沢栄一青春編「雲遥かなり」を浦和の埼玉会館で初公演

 

■本庄文学座のパンフレットは中村民夫先生が作成された

 

※参考文献「本庄のむかし」(柴崎起三雄著)より

 

 

※「戦後の本庄を元気づけた『麓原会(ろくげんかい)』と『本庄文学座』について」についてはこちらをご覧ください。

 

 

 

◆本庄文学座のパンフレット(中村民夫先生作)

中村民夫先生による「本庄文学座」の『王将』のパンフレット ※「本庄のむかし(P265)」(柴崎起三雄著)より
中村民夫先生による「本庄文学座」の『王将』のパンフレット ※「本庄のむかし(P265)」(柴崎起三雄著)より

 

「本庄文学座」のパンフレットの作成されたのが中村民夫先生でした。

 

学校の先生仲間である飯野利衛先生に頼まれ、中村先生がパンフレットを描くようになったという経緯を教えていただきました。

 

◆渋沢栄一翁の青春編『雲遥かなり』を演じた「本庄文学座」

 

中村先生とのお話の中で、戦後本庄を元気づけようと立ち上げられた「本庄文学座」が、昭和63年に渋沢栄一翁を扱っていたことをお聞きしました。そのときのポスターの絵も中村先生が描かれたとのことです。

 

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2017年8月11日、本庄市民文化会館での公演に向けて作成された冊子『市民による群読劇 塙保己一物語』の中で、当時、本庄文学座の劇団員だった清水正一さん(本町の自治会長で、いつもお世話になっている方です。)が「本庄文学座」が渋沢栄一翁を題材に公演していたことについて述べられていた箇所があったので、以下に抜粋させていただきます。

 


【公演発表についてのうら話】 清水正一

 

本庄市には戦後の混乱の中から日本の将来を憂いて「若者たちに真の文化を」と世論に訴え、後に埼玉県議になられた塩原圭次郎氏が、当時本庄町だった地域の若者たちに呼びかけて自立劇団「本庄文学座」を座長として設立致しました。昭和22年10月に初めて菊池寛作「父帰る」を上演、以降毎年1、2回公演の流れで敗戦後の荒んだ町民の心に、潤いと希望の灯りを点して文字通り地方文化の担い手としての大きな役割を果たし、地域の人々に親しまれてきたのが「本庄文学座」です。

第二代座長の故・飯野利衛先生を中心に、埼玉県の三偉人、渋沢栄一、荻野吟子、塙 保己一の劇化を発想しそのうち最初に実現したのが、昭和63年の渋沢栄一青春編「雲遥かなり」でこれを浦和の埼玉会館で初公演。その時一緒に出演していた仲間の劇団「Q」が、荻野吟子の「紅燃ゆる」を上演。唯一劇化できなかったのが「塙 保己一」でした。

 

前県議の竹並万吉氏が是非郷土の偉人、「塙 保己一物語」を劇化したいと述べられ、本庄文学座生き残りの私が協力依頼を受けました。20年前より芝居から遠ざかっていた自分も80歳の手習いでと心に火がつき、昔の仲間に参加を勧め素人集団「市民劇団」へと心は踊りました。

されど何より、衣装、装置と費用のかかる芝居をどうするか、竹並氏と打ち合わせを重ねました。その出た答えが「群読劇」、自分としては初めての演劇体験故に不安いっぱいの毎日でした。

そんな時、永く知人であった前進座の大幹部、志村智雄氏に演出を依頼したところ、快諾を頂き進行。次に脚本作成、初めての経験で作者になった根岸久氏の苦労は大変なものでした。何度も書き直し、やっと出来上がりました。

役者は全員素人集団。しかも市内の有名人にも多数出演して貰い、たとえ少ないセリフでも一生懸命演じて貰いました。子供も地元の小学生で、難しい般若心経の丸暗記も易々とでき、すっかり大人が食われてしまいました。

初回公演会場の児玉文化会館セルディを、開設以来初めてという入場者数を記録、おかげさまで大成功。お客様の反応も塙保己一の生涯、そして偉大さがよく理解できましたと好評。唯々、台本片手で演じる群読劇の難しさを痛感いたしました。

再演の要望もあり、この度は本庄市民文化会館での公演となりました。大きい会場だけに思い出すのは、ここで何度も芝居を演じた歴史有る「本庄文学座」での演劇。当時の座員は皆家業や職業を持っていた人達で、演劇への情熱が皆を駆り立ててきたのです。勿論、、市民も熱心に協力、支援を惜しまずいただけたからです。

今後は新しい人材、この仲間で市民劇団として邁進頂き、「演劇の街」本庄市を復活して頂きたいと願っております。

 

出典:『市民による群読劇 塙保己一物語(P47)』(記念誌編集委員、2017年)

 

『市民による群読劇 塙保己一物語』(記念誌編集委員、2017年)
『市民による群読劇 塙保己一物語』(記念誌編集委員、2017年)

【群読劇『塙保己一物語』について】

 

本庄では2016年から2018年の3回にわたって群読劇『塙保己一物語』が上演されました。

(塙保己一物語実行委員会会長:竹並万吉氏、脚本:根岸久氏、潤色・演出:志村智雄氏)

2015(平成27)年に発足の「塙保己一物語劇化実行委員」が中心となって、本庄市民文化会館、児玉文化会館セルディ等で、上演されてきました。2020年2月には、『子ども劇団』が立ち上げられました。

塙 保己一(はなわ ほきいち)翁は、本庄市児玉町保木野生まれで埼玉三偉人の一人です。ヘレンケラーが生きる心の支えとした人物でもあります。

 

 


 

中村先生、このたびは、戸谷八商店に来てくださってすてきなお話を聞かせていただきまして、ありがとうございました!!