2021年12月13日(月) 「中山道 みたけ館」(岐阜県可児郡御嵩町)の学芸員の方が戸谷八商店をご訪問くださいました。~御嵩(みたけ)町には、江戸時代、中山道宿場町「御嶽宿」と「伏見宿」がありました。また、人気アニメ『鬼滅の刃』で主人公が真っ二つに切った「鬼石」にそっくりの岩があり、現在注目を集めています~

 

 

「広重・英泉の『木曽海道六拾九次を辿って中山道を旅してみた』~旅人ミーモくんとめぐる中山道~(伏見宿~下諏訪宿編)」
「広重・英泉の『木曽海道六拾九次を辿って中山道を旅してみた』~旅人ミーモくんとめぐる中山道~(伏見宿~下諏訪宿編)」

上記ガイドブックは、「中山道みたけ館」によって発行されました。

 

 


◆「中山道みたけ館」(岐阜県可児郡御嵩町)

~中山道「御嶽宿(みたけじゅく)」や「伏見宿(ふしみじゅく)」に関する資料が豊富にそろった郷土資料館~

岐阜県可児郡御嵩町にある「中山道みたけ館」
岐阜県可児郡御嵩町にある「中山道みたけ館」
栗谷本さん(左)と佐久間さん(中山道みたけ館で)
栗谷本さん(左)と佐久間さん(中山道みたけ館で)

 

今回、「中山道みたけ館」の学芸員である栗谷本 真(くりやもと まこと)さんと、主任指導員の佐久間 英明(さくま ひであき)さんが、戸谷八商店に取材に来てくださいました。

 

「中山道みたけ館」は、平成8年(1996年)に開館した、岐阜県可児郡御嵩町(かにぐん みたけちょう)にある、郷土館と図書館を併設した公共施設です。

郷土館には、中山道「御嶽宿(みたけじゅく)」や「伏見宿(ふしみじゅく)」に関する豊富な資料がそろっています。 

 

【住所】

岐阜県可児郡御嵩町御嵩1389-1

【開館時間】

10:00~18:00(火曜日~金曜日)

9:00~17:00(土・日・休日)

【休館日】

毎週月曜日、毎月第3火曜日、毎月最終金曜日、12月28日~1月4日

【TEL】

0574-67-7500

 



◆【特別展】広重・英泉の「木曽海道六拾九次を辿って中山道を旅してみた」

~2021年3月から5月に「中山道みたけ館」で開催された特別展~

 

栗谷本(くりやもと)さんと、佐久間さんのお二人は、「中山道みたけ館」が1996年に開館して以降、中山道の宿場町として、さまざまな視点から”中山道”に関する企画・特別展を展開し、中山道の魅力を伝えてこられました。

 

今年は、2021年3月~5月に、中山道みたけ館特別展「『木曽海道六拾九次』を辿って中山道を旅してみた(伏見宿~下諏訪宿編)」が開催されました。

「当時の浮世絵のモデルとなった場所が一体どこなのか」をテーマに、中山道の絵のモデルになったとされる地を探し歩いた旅を紹介する展示会です。

 

その特別展のガイドブックとして発行されたのが、下記ガイドブック「広重・英泉の『木曽海道六拾九次を辿って中山道を旅してみた』~旅人ミーモくんとめぐる中山道~(伏見宿~下諏訪宿編)」です。

シリーズ第一弾として、「伏見宿」から「下諏訪宿」までの22宿で写真や地元の人の思いなどをまとめ、旅しているような気分を味わえるガイドブックになっています。

 

このたび、『広重・英泉の木曽海道六拾九次を辿って中山道を旅する』のシリーズ第二弾として、岐阜県から本庄へ取材に来てくださいました。

 

 

(特別展のガイドブック)

※ガイドブック「広重・英泉の『木曽海道六拾九次を辿って中山道を旅してみた』~旅人ミーモくんとめぐる中山道~(伏見宿~下諏訪宿編)」より

 


◆英泉・広重の手掛けた『木曽海道六十九次(きそかいどう ろくじゅうきゅうつぎ)』とは

 

中山道は、今から400年ほど前に徳川幕府により整備された街道で、江戸「日本橋」と京都「三条大橋」までを結んでいます。全長は534kmあり、道筋には69の宿場が設けられました。

 

『木曽海道六十九次(きそかいどう ろくじゅうきゅうつぎ)』は、江戸時代の浮世絵師・渓斎英泉(けいさい えいせん)と、歌川広重(うたがわ ひろしげ)によって手掛けれられた浮世絵です。活き活きとした旅人たちの様子や土地の名産、宿場の風景が描かれています。

山道の69カ所の宿場と、出発地点の日本橋の合計70枚(英泉が24図、広重が46図)で構成されています。 

 

「木曾街道 續ノ壹 日本橋 雪之曙」(英泉作・日本橋)
「木曾街道 續ノ壹 日本橋 雪之曙」(英泉作・日本橋)
「木曾海道六拾九次之内 板鼻」(英泉作・板鼻宿)
「木曾海道六拾九次之内 板鼻」(英泉作・板鼻宿)
「木曽海道六拾九次之内 御嶽」(広重作・御嶽宿)
「木曽海道六拾九次之内 御嶽」(広重作・御嶽宿)

◆中山道「本庄宿」

~浮世絵『支蘓路ノ駅(きそじのえき)本庄宿神流川渡場』は渓斎英泉 (けいさい えいせん)の作です。本庄宿から5.5km離れた「神流川の渡し場」を題材にしています。~

『支蘓路ノ駅(きそじのえき)本庄宿神流川渡場』渓斎英泉 (けいさい えいせん)作  天保6~8年(1835~1837年)
『支蘓路ノ駅(きそじのえき)本庄宿神流川渡場』渓斎英泉 (けいさい えいせん)作  天保6~8年(1835~1837年)

 

「本庄宿」には、『木曽海道六十九次(きそかいどう ろくじゅうきゅうつぎ)』の中の一枚として、渓斎 英泉(けいさい えいせん)の描いた『支蘓路ノ駅(きそじのえき)本庄宿神流川渡場』があります。「神流川の渡し場」を題材に、中山道「本庄宿」の19世紀当時の風景が描かれています。

 

浮世絵では、背景の山は上毛三山であり、左から、妙義山・榛名山・赤城山と並んでいます。

中洲までは橋が架けられ、国元に帰る大名行列(信濃国 高遠藩の行列)が渡っている姿があります。

土橋は、初代「戸谷半兵衛光盛」が天明元年(1781年)に、神流川に架けたものです。出水で橋が流された場合に備えて渡し船も用意し、無賃渡しとするために金100両を上納しました。

手前にある常夜灯」は、文化12(1815)年に3代目「戸谷半兵衛光寿」が寄進したものです。

(※戸谷半兵衛家は戸谷家の分家にあたります。) 

 

 

「本庄宿」については、2017年に、埼玉県北部地域振興センター本庄事務所が「中山道最大の宿『本庄宿』の再発見」の冊子を発行してくださいました。

※詳細は「埼玉県北部地域振興センター本庄事務所」HPの「中山道最大の宿『本庄宿』の再発見」サイトへ

 

 


◆御嵩町(みたけちょう)について

~江戸時代には宿場町として栄え、2020年大河ドラマ『麒麟がくる』ゆかりの地でもあり、「鬼の一刀岩」は、人気アニメ『鬼滅の刃』の聖地として注目を集めています

 

■中山道御嶽宿「商家竹屋」

「中山道」の宿場町、「御嶽宿(みたけじゅく)」のなかに位置する「商家竹屋」

主屋は明治10年(1877年)頃の建築と推定され、街道を人や物資が往来し、大きく賑わいをみせていた頃からの豪商として、宿場内での役割を果たしてきました。

今日では徐々に姿を消しつつある江戸時代の建築様式を色濃く残す建物といえ、「主屋」並びに「茶室」が御嵩町指定有形文化財となっています。

 

『商家竹屋』は江戸時代末期、本陣を勤める『野呂家』から分家し、商いを中心として代々受け継がれてきました。

天保13年(1842)の『御嶽宿宿並絵図』によれば、本陣の東隣に組頭としての記載がみられるほか、宿内で2軒ある商屋のうちの1軒でした。

竹屋の商いは、通常想像するような店先に商品をならべた形態ではなく、金融業をはじめとして繭・木材・綿布などを取扱い、後年にアメリカ製自動車の輸入販売、名古屋では『竹屋街』と呼ばれる借家街の経営、あるいは佐渡金山への投資など、幅広い商売を手がけていたとされ、現代のいわば『総合商社』の先駆けであったといえます。」(御嵩町HPより)

 


■「明智八郷」(可児市北東部から御嵩町西部)

「大河ドラマ『麒麟がくる』で注目を集める可児市北東部から御嵩町西部にかけて存在したとされる明智荘は古来『明智八郷』と言われており、現在の『御嵩町』の古屋敷・顔戸、『可児市』の柿田・渕之上・平貝戸・瀬田・石森・石井の8つの集落を指します。

 この明智荘には、美濃国守護職土岐氏の一族が入り、土岐明智氏を名乗って代々明智荘を支配したという伝承が残されており、明智光秀のゆかりの地と言われています。」(御嵩町HPより)

 

 

■戦国時代最強の武将のひとり「可児才蔵」生誕地

明智光秀の重臣・可児才蔵
明智光秀の重臣・可児才蔵

「可児 才蔵(かに さいぞう)」は、戦国史最強の武将のひとりしてうたわれています。

明智光秀が生まれたとされる明智荘が、可児市から御嵩町にかけての地域(明智八郷)であり、可児才蔵と明智光秀が同郷であったとされています。才蔵は槍の名手としても有名で、自身が討ち取った首が分かるように、笹の葉をくわえさせたという逸話から「笹の才蔵」とも呼ばれています。

地元の人々に愛され続きている武将です。

 

 

■『鬼滅の刃』の聖地として注目を集める「鬼の一刀岩」

鬼の一刀岩(蓮華岩)
鬼の一刀岩(蓮華岩)
「鬼の一刀岩」ルートについて
「鬼の一刀岩」ルートについて

岐阜県可児郡御嵩町から瑞浪市にまたがって「鬼岩公園(おにいわ こうえん)」があります。『鬼滅の刃』に出てくる主人公・竈門炭次郎(かまどたんじろう)が切った岩に似ている「鬼の一刀岩」があり、鬼滅の刃の聖地として注目を集めています。

 

鬼岩という名前は、約800年前、現在の鬼岩(御嵩町次月・瑞浪市日吉地内)に「関の太郎」という鬼が住んでいた話に由来します。関の太郎は、住民や東山道(古代の道路)を行きかう旅人に悪行を行なったため、後白河法皇の命により派遣された兵士により討伐されたという伝説です。

 

 

■龍安寺石庭の原型と言われる「愚溪寺(ぐけいじ)」の石庭

愚溪寺(ぐけいじ)の「臥龍石庭(がりゅう せきてい)」 ※枯山水の龍安寺「方丈庭園」の原型とも言われています。(岐阜県可児郡御嵩町中2635−1)
愚溪寺(ぐけいじ)の「臥龍石庭(がりゅう せきてい)」 ※枯山水の龍安寺「方丈庭園」の原型とも言われています。(岐阜県可児郡御嵩町中2635−1)

御嵩町には、「愚渓寺(ぐけいじ)」という禅寺(臨済宗妙心寺派)があります。

開山は義天玄承(ぎてんげんしょう)で、 後に京都の「龍安寺」を開山したことから、愚溪寺石庭は「龍安寺石庭の原型」であるとされています。

 


 

御嵩町の学芸員の方が、『広重・英泉の木曽海道六拾九次を辿って中山道を旅してみた』シリーズを通して、江戸時代と現代の中山道を比較して、景色の違いや歴史的な変遷を紹介しようとご尽力くださっていることがとてもありがたいです。

お二人の県境を越えたご活動によって、中山道の魅力がより多くの人たちに伝わっていくと思いました。

 

 

栗谷本さん、佐久間さん、このたびは戸谷八商店をご訪問くださいましてありがとうございました!!