「中山道みたけ館」(岐阜県可児郡御嵩町)の学芸員である栗谷本さんと佐久間さんより、特別展『木曽海道六拾九次を辿って中山道を旅してみた』シリーズの第二弾(和田宿~深谷宿編)のガイドブックを送っていただきました。

 

 

~【特別展】歌川広重(うたがわ ひろしげ)と渓斎英泉(けいさい えいせん)の浮世絵作品『木曽海道六拾九次』のモデルとなった場所を、旅人ミーモくんと一緒に実際に訪れ、中山道の魅力を紹介~

 

ガイドブック「広重・英泉の『木曽海道六拾九次を辿って中山道を旅してみた』ー旅人ミーモくんとめぐる中山道ー第二集(和田宿~深谷宿編)」
ガイドブック「広重・英泉の『木曽海道六拾九次を辿って中山道を旅してみた』ー旅人ミーモくんとめぐる中山道ー第二集(和田宿~深谷宿編)」
ガイドブック(裏面)
ガイドブック(裏面)

 

令和3年(2021年)12月13日、「中山道みたけ館」の学芸員である栗谷本 真(くりやもと まこと)さんと、主任指導員の佐久間 英明(さくま ひであき)さんが、特別展の取材のため戸谷八商店に来てくださいました。

 

このたび、お二人からその時の取材をまとめられた特別展「広重・英泉の『木曽海道六拾九次を辿って中山道を旅してみた』ー旅人ミーモくんとめぐる中山道ー第二集(和田宿~深谷宿編)」 のガイドブックとチラシ、ポスターを送っていただきました。本庄宿のことも大変興味深く取り上げていただき、ありがとうございます。

 


◆中山道みたけ館 特別展「広重・英泉の『木曽海道六拾九次を辿って中山道を旅してみた』ー旅人ミーモくんとめぐる中山道-(和田宿~深谷宿編)」

開催期間:令和4年1月22日(土)~5月29日(日)

※新型コロナウイルス感染症拡大防止のため、開催期間等を変更する場合があります。

令和3年度中山道みたけ館での特別展「広重・英泉の『木曽海道六拾九次を辿って中山道を旅してみた』ー旅人ミーモくんとめぐる中山道ー(和田宿~深谷宿編)」のチラシ(表)
令和3年度中山道みたけ館での特別展「広重・英泉の『木曽海道六拾九次を辿って中山道を旅してみた』ー旅人ミーモくんとめぐる中山道ー(和田宿~深谷宿編)」のチラシ(表)
チラシ(裏)
チラシ(裏)

 

◆中山道みたけ館・特別展◆ 

広重・英泉の「木曽海道六拾九次を辿って中山道を旅してみた」ー旅人ミーモくんとめぐる中山道ー 【和田宿~深谷宿編】

 

期間:令和4年1月22日(土)~5月29日(日)

場所:2F郷土館 特別展示室

開館時間:平日10時~18時/土・日・祝日9時~17時

休館日:毎週月曜日/毎月第3火曜日/毎月最終金曜日

(新型コロナウイルス感染症拡大防止のため、開催期間等を変更する場合があります。)

 

※「中山道みたけ館」ホームページより

 

(特別展の様子)

※中山道みたけ館の栗谷本さんと佐久間さんに、特別展の写真を送っていただきました。

本格的な美術館や博物館のような素晴らしい展示の仕方と、細部にわたって愛情を込めてご準備なさっていたことが伝わり、感服いたしました!

 


◆「中山道みたけ館」(岐阜県可児郡御嵩町)

~中山道「御嶽宿(みたけじゅく)」や「伏見宿(ふしみじゅく)」に関する資料が豊富にそろった郷土資料館~

「中山道みたけ館」(岐阜県可児郡御嵩町御嵩1389-1)
「中山道みたけ館」(岐阜県可児郡御嵩町御嵩1389-1)
栗谷本 真さん(左)と佐久間 英明さん(中山道みたけ館で)
栗谷本 真さん(左)と佐久間 英明さん(中山道みたけ館で)

「中山道みたけ館」は、平成8年(1996年)に開館した、岐阜県可児郡御嵩町(かにぐん みたけちょう)にある、郷土館と図書館を併設した公共施設です。

 

栗谷本さんと佐久間さんは、「中山道本陣展」「中山道美濃十六宿展」「歌川 国芳の描いた木曽海道六十九次」「御嵩の弥次喜多コンビが、岐蘇路安見絵図(きそじあんけんえず)を辿って、電動アシスト付自転車で中山道を走ってみた!」等、これまで様々な角度から中山道の魅力を紹介する企画展を行ってこられました。

 

令和3年(2021年)3月~5月には、中山道みたけ館特別展「広重・英泉の『木曽海道六拾九次』を辿って中山道を旅してみた(伏見宿~下諏訪宿編)」を開催されています。

江戸時代の浮世絵師、歌川広重(うたがわ ひろしげ)と渓斎英泉(けいさいえいせん)が中山道を描いた「木曽海道六拾九次」シリーズを紐解き、「当時の浮世絵のモデルとなった場所が一体どこなのか」をテーマに、中山道の絵のモデルになったとされる地を探し歩いた旅を紹介する展示会です。

 

今回はシリーズ第二弾として、「和田宿~深谷宿編」が令和4年(2022年)1月22日(土)より「中山道みたけ館」にて開催されています。

歌川国貞「弥次郎兵衛」「喜多八」
歌川国貞「弥次郎兵衛」「喜多八」

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◆中山道みたけ館◆

【住所】

岐阜県可児郡御嵩町御嵩1389-1

 

【開館時間】

10:00~18:00(火曜日~金曜日)

9:00~17:00(土・日・休日)

【休館日】

毎週月曜日、毎月第3火曜日、毎月最終金曜日、12月28日~1月4日

【TEL】

0574-67-7500

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◆ガイドブックで紹介していただいた『本庄宿・神流川の渡し場』

「広重・英泉の『木曽海道六拾九次を辿って中山道を旅してみた』ー旅人ミーモくんとめぐる中山道ー第二集(和田宿~深谷宿編)P42」(発行:中山道みたけ館)より
「広重・英泉の『木曽海道六拾九次を辿って中山道を旅してみた』ー旅人ミーモくんとめぐる中山道ー第二集(和田宿~深谷宿編)P42」(発行:中山道みたけ館)より

渓斎 英泉(けいさい えいせん)の描いた浮世絵「本庄宿・神流川の渡し場」について、上毛三山や、大名行列、常夜灯等、一つ一つがとても丁寧に説明されていて、モデルとなった場所のマップもわかりやすかったです。第一集に続いて読んでいてとても楽しくなってくるガイドブックでした。

お二人は、実際に浮世絵のモデルとなった場所に赴かれ、写真も載せてくださっています。

往時の「本庄宿・神流川の渡し場」の風景と現代の風景が重なり、さらに、他の宿場町の景色や情緒も有機的に重なり合ってきて、中山道の魅力を複合的に味わうことができました。

 

【ガイドブックに記載された緯度経度を使って浮世絵のモデル地を訪問できる】

「広重・英泉の『木曽海道六拾九次を辿って中山道を旅してみた』ー旅人ミーモくんとめぐる中山道ー第二集(和田宿~深谷宿編)P43」(発行:中山道みたけ館)より
「広重・英泉の『木曽海道六拾九次を辿って中山道を旅してみた』ー旅人ミーモくんとめぐる中山道ー第二集(和田宿~深谷宿編)P43」(発行:中山道みたけ館)より

 

ガイドブックの各宿場町のページには、『木曽海道六拾九次』のモデルとなった場所の「緯度経度」と「標高」が記載されています。

「本庄宿」のページを見ると、

「北緯:36°15’59″/東経:139°7’24″/標高70m」

と記されています。

 

上記の緯度経度(36°15’59″N 139°7’24″E) をGoogleやカーナビに入力すると、本庄宿のモデルとして渓斎 英泉(けいさい えいせん)が描いた「神流川渡し場」の場所が表示されます。

※Nは北緯、Eは東経のことです。

 

 

■英泉が描いた「本庄宿・神流川の渡し場」の場合


 

このガイドブックがあれば、『木曽海道六拾九次』のモデルとして描かれた中山道のどんな宿場町も辿って、中山道の歴史を味わうことができます。

たとえば、「望月宿」の場合、このガイドブックには「北緯:36°15’59″/東経:138°22’4″/標高740m」と表示されています。Googleやカーナビに(36°15’59″N 138°22’4″E)と入力すると、歌川 広重が描いた「望月宿」の現在の場所に着くことができます。

 

■広重が描いた【望月宿】の場合

ガイドブック(P13)には、「望月宿」の緯度経度について「北緯:36°15’59″/東経:138°22’4″」と表示されています。
ガイドブック(P13)には、「望月宿」の緯度経度について「北緯:36°15’59″/東経:138°22’4″」と表示されています。


 

中山道の旅のお供としてとても心強いガイドブックだと思いました!

 


◆英泉が描いた『支蘓路ノ駅(きそじのえき)本庄宿神流川渡場』

19世紀当時の「本庄宿」の風景を今に伝えるために描かれた「神流川渡し場」~

『支蘓路ノ駅(きそじのえき)本庄宿神流川渡場』渓斎英泉 (けいさい えいせん)作  天保6~8年(1835~1837年)
『支蘓路ノ駅(きそじのえき)本庄宿神流川渡場』渓斎英泉 (けいさい えいせん)作  天保6~8年(1835~1837年)

 

「本庄宿」には、『木曽海道六十九次(きそかいどう ろくじゅうきゅうつぎ)』の中の一枚として、渓斎 英泉(けいさい えいせん)の描いた『支蘓路ノ駅(きそじのえき)本庄宿神流川渡場』があります。「神流川の渡し場」を題材に、中山道「本庄宿」の19世紀当時の風景が描かれています。

 

浮世絵では、背景の山は上毛三山であり、左から、妙義山・榛名山・赤城山と並んでいます。

中洲までは橋が架けられ、国元に帰る大名行列(信濃国 高遠藩の行列)が渡っている姿があります。

土橋は、初代「戸谷半兵衛光盛」が天明元年(1781年)に、神流川に架けたものです。出水で橋が流された場合に備えて渡し船も用意し、無賃渡しとするために金100両を上納しました。

手前にある常夜灯」は、文化12(1815)年に3代目「戸谷半兵衛光寿」が寄進したものです。

(※戸谷半兵衛家は戸谷家の分家にあたります。) 

 

『中山道分間延絵図』の「神流川の渡し」
『中山道分間延絵図』の「神流川の渡し」

■【中山道】勝場の一里塚(かつばのいちりづか)

~日本橋から23番目の一里塚~

「勝場の一里塚」
「勝場の一里塚」
「勝場の一里塚跡と天王社」(埼玉県児玉郡上里町勅使河原1739)
「勝場の一里塚跡と天王社」(埼玉県児玉郡上里町勅使河原1739)



■『神流川古戦場(かんながわこせんじょう)と渡し場』案内板

「神流川古戦場と渡し場」説明板 ※神流川橋から国道17号を埼玉県側へ約100m進んで右折したところにあります。
「神流川古戦場と渡し場」説明板 ※神流川橋から国道17号を埼玉県側へ約100m進んで右折したところにあります。

 

神流川合戦(かんながわがっせん)は、天正10年(1582年) 6月18・19日の両日にわたって、武蔵・上野国境の神流川を舞台としておこなわれた織田信長の武将 厩橋城主(まやばしじょうしゅ)滝川一益と、鉢形城主(はちがたじょうしゅ)北条氏邦・北条氏直との戦いです。別名金窪原の戦い(かなくぼはら)とも云われ、金久保・毘沙吐(びしゃど)周辺が神流川古戦場跡として伝えられています。

また、ここには中山道神流川の渡し場(かんながわのわたしば)がありました。その様子は渓斎英泉(けいさい えいせん)によって描かれた『本庄宿神流川渡場』で見ることができます。そこに描かれている燈籠は、埼玉県側と群馬県側に1基ずつあって、『見透灯籠(みとおしとうろう)』と呼ばれていました。

(埼玉県側の)この見透燈籠は、文化12年(1815年) 本庄宿の戸谷半兵衛門が、寄進したもので、正面には大窪詩仏(おおくぼ しぶつ)による『常夜燈』と、桑原北林(くわばら ほくりん)による『金比羅大権現』の文字が、右側面には『燈に背かざりせば闇路にも迷わせまじ行くも帰りも』と田口秋因の和歌が、刻まれています。

しかしせっかく建立されたこの燈籠も文政5年(1822年) 秋の洪水で倒れ、その後、安政4年(1857年) に発見されて現在は大光寺(だいこうじ)へ移転されています。」上里町教育委員会

 

(『神流川古戦場(かんながわこせんじょう)と渡し場』案内板より)

 


■「神流川古戦場跡」の石碑・解説看板・灯籠等

「神流川の古戦場跡」の石碑等は自衛隊新町駐屯地の外柵近く(地図)に建っていましたが、現在、国道17号本庄道路 神流川橋の架け替え工事中のため、JR高崎線脇に仮移設中です。事業完了後、国道17号下り線脇に設置予定とのことです。

(「国道17号本庄道路ニュース・第5号」PDF2.82MB より)

 


■「神流川渡し場の見透灯籠(みとおしとうろう)」のモニュメント

神流川橋の両端にある「神流川渡し場の見透灯籠(みとおしとうろう)」は、平成4年(1992年)に神流川橋に設置された、1/2サイズのモニュメントです。

 

【本庄宿側】

文化12年(1815年)本庄宿の戸谷半兵衛が建立した見透灯籠の実物は、現在、「大光寺(だいこうじ)」(埼玉県児玉郡上里町勅使河原1864)に保存されています。

【新町宿側】

新町宿の専福寺住職と宿役人によって発願され、旅人からも寄附を募り、文化12年(1815年)に建立された見透灯籠の実物は、現在、「諏訪神社(高崎市大八木町)」参道入口に移設されています。

※新町の旅籠高瀬屋に川留で宿泊していた小林一茶も12文を寄進しています。

 


◆「新神流川橋工事」と「見透灯籠」モニュメントの移設について

 

 

現在、国道17号のバイパス「本庄道路」の整備事業が実施されており、その一環として、優先的に「神流川橋」の架け替え工事が行われています。「新神流川橋」は、令和4年(2022年)内に開通する見通しとなっています。

【橋長】:約729m

【橋脚幅員】:24.5m

【車線数】:4車線(暫定2車線)

※旧橋(現在の神流川橋)は、『新神流川橋』の開通後撤去されます。

 

旧神流川橋の撤去にともなって、「見透灯籠」のモニュメントは「新神流川橋」の方に移設される予定とのことです。(「国道17号本庄道路ニュース・第4号」PDF1.38MB より)

 


(参考)国道17号のバイパス「本庄道路」の整備事業について

現在、国道17号のバイパス『本庄道路』(深谷市岡から高崎市新町に至る13.1km)の整備が実施されています。

 

国道17号の「本庄市-上里町」区間は片側1車線のため、慢性的な交通渋滞が問題となっており、緊急輸送路の確保、防災・震災対策の観点からも国道17号のバイパスとして『本庄道路(延長13.1km)』の整備事業が進められています。

 

『本庄道路(延長13,1km)』のうち、先行して行われているのが、「本庄市沼和田-高崎市新町」までの延長7km区間です。その中でも、国道17号に架かる「神流川(かんながわ)橋」は、昭和9年(1934年)の架設で築後85年以上経過し老朽化が著しいことから、優先して架け替え工事が行われています。

 

令和4年(2022年)内に、『新神流川橋』を含む、本庄道路「上里町勅使河原-高崎市新町」までの延長1.4km区間が暫定2車線で開通する見通しとなっています。

※『新神流川橋』の開通後、旧橋は撤去されます。

 

本庄市街地外郭の幹線道路を形成する『本庄道路』の整備により、交通渋滞の緩和、防災・震災対策の強化、地域の利便性の向上が図られます。 

 

【参考文献】

・国土交通省 関東地方整備局の国道17号本庄道路についての記者発表資料(2020年4月13日)

・国土交通省関東地方整備局 大宮国道事務所「本庄道路ニュース」(バックナンバー)

一般国道17号本庄道路 再評価資料(PDF2.55MB)国土交通省関東地方整備局 (2017年10月20日)

・ラジエイトHP「国道17号(本庄道路)神流川新橋 親子道路工事現場見学会(2019年4月20日)」 

・「本庄道路パンフレット」(国土交通省 関東地方整備局 大宮国道事務所)PDF:3.34MB

 

 


◆「矢田堤塘之碑(やたていとうのひ)」

~神流川のかつての大洪水の記録をしるした碑~

 

神流川のこの地域は、歴史的に数多くの水害の被害を受けてきました。

上里町勅使河原にある「矢田堤塘之碑(やたていとうのひ)」には、特に洪水の被害が大きかった弘化3年(1846年)の被害の状況が記されています。

 

「矢田堤塘之碑(やたていとうのひ)」昭和36年建立
「矢田堤塘之碑(やたていとうのひ)」昭和36年建立
万延元年(1860年)建立の「九頭龍神社」
万延元年(1860年)建立の「九頭龍神社」
九頭龍神社(右側面)
九頭龍神社(右側面)
九頭龍神社(左側面)
九頭龍神社(左側面)

■神流川・烏川・利根川周辺地図(上里町・本庄市の地名)

「矢田堤塘之碑」とともに奉納された灯籠
「矢田堤塘之碑」とともに奉納された灯籠

 

広報かみさと(2013年1月号)の「こむぎっちが行く!かみさと歴史発見(第13話)」には、「矢田堤塘之碑」について説明があります。

「勅使河原(てしがわら)の西を流れる神流川は、水源から近いこともあって、実り豊かな土地柄と引き換えに、毎年のように河川の氾濫に悩まされてきたんだ。その中でも弘化3年の洪水は、毘沙吐村(びしゃどむら)や天神集落が移転しなければならないほどの大洪水だったんだ。

こうした洪水の多くは、忍保川(おしぼがわ)の水源である『矢田清水』と呼ばれる場所の堤防が決壊して金久保(かなくぼ)・黛(まゆずみ)・忍保(おしぼ)・八町河原(はっちょうがわら)に大きな被害を与えたんだ。そこには、九頭龍神社(くずりゅうじんじゃ)があったんだけど、昭和36年にその場所に『矢田堤塘之碑(やたていとうのひ)』が建てられて、これまでの洪水の記録が刻まれたんだ。」(広報かみさと2013年1月号「こむぎっちが行く!かみさと歴史発見(第13話)」より)

 


◆大光寺(だいこうじ)

~戸谷半兵衛の建立した「見透灯籠(常夜灯)」が保存されています~

 

【勅使山 大光寺(てしざん だいこうじ)】

 

■宗派:臨済宗円覚寺派

■創建:健保3年(1215年)武蔵七党(丹党)の勅使河原権三郎有直

■開山:栄西禅師

■本尊:聖観世音菩薩

■円覚寺百観音霊場 第四十九番札所

 


◆大光寺に保管されている戸谷半兵衛が建立した「常夜灯」

「見透灯籠」(上里町指定文化財)

 

文化12年(1815年)本庄宿の戸谷半兵衛門が神流川渡し場のたもとに、夜間燈を灯して神流川を往来する旅人の目印および安全祈願のためこの燈籠を建立しました。

正面には大窪詩仏(おおくぼ しぶつ)による『常夜燈』と、桑原北林(くわばら ほくりん)による『金比羅大権現』の文字が、右側面には『燈に背かざりせば闇路にも迷わせまじ行くも帰りも』と田口秋因の和歌が、刻まれています。

 

しかし せっかく建立されたこの燈籠も文政5年(1822年) 秋の洪水で倒れ、その後、安政4年(1857年) に発見されて現在は大光寺(だいこうじ)へ移転されています。

 

 

裏面には、建立年の「文化12年歳在乙亥夏」が、左側面には、建立者である「本庄宿 戸谷半兵衛」の名前が刻まれています。

 


「広重・英泉の『木曽海道六拾九次を辿って中山道を旅してみた』ー旅人ミーモくんとめぐる中山道ー第二集(和田宿~深谷宿編)P54」(発行:中山道みたけ館)より
「広重・英泉の『木曽海道六拾九次を辿って中山道を旅してみた』ー旅人ミーモくんとめぐる中山道ー第二集(和田宿~深谷宿編)P54」(発行:中山道みたけ館)より
「広重・英泉の『木曽海道六拾九次を辿って中山道を旅してみた』ー旅人ミーモくんとめぐる中山道ー第二集(和田宿~深谷宿編)P3」(発行:中山道みたけ館)より
「広重・英泉の『木曽海道六拾九次を辿って中山道を旅してみた』ー旅人ミーモくんとめぐる中山道ー第二集(和田宿~深谷宿編)P3」(発行:中山道みたけ館)より

 

栗谷本 真さん、佐久間 英明さん、このたびは特別展の素敵なガイドブックとチラシ、ポスターを送っていただきありがとうございました。

緯度経度を掲載してくださったおかげで、各宿場町に行きやすくなり、旅行してみたい気分になりました。

たとえば次は、中山道で標高が1,600mと一番高く、険しい難所としても知られる「和田宿」にも行ってみたいです。

(和田峠の一部は、中山道の良好な景観を残す区間として知られ、国史跡となっています。)

 

一つの宿場町の魅力だけでなく、中山道という幹線道路によってつながる各宿場町の様子を同時に知ることで、中山道全体のことがより一層好きになりました。またそれにより、各宿場町の魅力が引き立ち、これからも何か一緒に連携した企画ができればと思いました。

 

新型コロナウィルスが落ち着いた後に、「中山道みたけ館」にぜひお伺いしたいと強く感じました。

このたびは誠にありがとうございました!