2022年11月19日(土) 藤井美登利先生による埼玉新聞の連載記事『絹の記憶を訪ねて』において、『旧本庄商業銀行煉瓦倉庫~洋菓子と繭の甘い記憶』が紹介されました。

~旧本庄商業銀行煉瓦倉庫と、36年間本庄で愛されつづけた『ローヤル洋菓子店』~

 

2022年11月19日(土)掲載の藤井美登利先生による埼玉新聞連載記事『絹の記憶を訪ねて(第13回)』
2022年11月19日(土)掲載の藤井美登利先生による埼玉新聞連載記事『絹の記憶を訪ねて(第13回)』

 

2022年8月27日から「埼玉新聞」毎週土曜日の朝刊に、「NPO法人川越きもの散歩」代表の藤井美登利先生による連載記事『絹の記憶を訪ねて』が掲載されています。

 

2022年11月19日(土)の記事では、「第13回 旧本庄商業銀行煉瓦倉庫~洋菓子と繭の甘い記憶」と題して、繭で繁栄した本庄と、「旧本庄商業銀行煉瓦倉庫」にて昭和52年(1977年)から36年間、本庄市民に美味しいケーキを提供し続けてくださった「ローヤル洋菓子店」について紹介してくださいました。

 


◆「繭のまち」本庄

中山道の宿場町として栄えた「本庄宿」は、江戸時代から繭の集散地として賑わっていました。

明治時代になると、本庄町は、全国有数の繭の集散地として栄えました。

そのきっかけとなるのが、明治5年(1872年)に開業した「富岡製糸場」の初代場長「尾高惇忠」が繭の仕入れのため、本庄町の「諸井泉右衛門」らに繭の買い入れを依頼したことだと言われています。

 

明治16年(1883年)、日本鉄道(現高崎線)「本庄駅」が開業すると、さらに繭と絹のまちとしての発展を遂げました。

 


◆「旧本庄商業銀行」

(左)「旧本庄商業銀行煉瓦倉庫」 (右)「旧本庄商業銀行」※右から3人目の髭の人が11代目戸谷八郎左衛門です。
(左)「旧本庄商業銀行煉瓦倉庫」 (右)「旧本庄商業銀行」※右から3人目の髭の人が11代目戸谷八郎左衛門です。

 

明治27年(1894年)、本庄町最初の銀行として設立。

(取締役として、11代目戸谷八郎左衛門も、本庄商業銀行の設立にかかわりました。)

生糸産業の全盛期、「本庄商業銀行」は、繭や生糸を担保に融資をしていました。

旧本庄商業銀行煉瓦倉庫」は、その繭や生糸の保存倉庫です。

 

◆「旧本庄商業銀行煉瓦倉庫」

明治29年(1896年)、融資の担保となった大量の繭を保管するために建てられました。

絹産業が盛んであった本庄の繁栄の記憶を現在も伝えています。

 


◆藤井美登利先生のご著書『埼玉きもの散歩―絹の記憶と手仕事を訪ねて』

『埼玉きもの散歩―絹の記憶と手仕事を訪ねて』(藤井 美登利氏著・さきたま出版会)
『埼玉きもの散歩―絹の記憶と手仕事を訪ねて』(藤井 美登利氏著・さきたま出版会)

 

昭和52年(1977年)、「旧本庄商業銀行煉瓦倉庫」にて「ローヤル洋菓子店」が開業し、36年間甘いケーキを提供し続けてくださいました。

記念日の記憶は、戸谷家でもそうなのですが、「ローヤル洋菓子店」のケーキとともにある方が多いと思います。 

 

横浜の開港以来、生糸貿易は日本の近代化を支え、日本の経済の隅々にまで大きな影響を及ぼしました。

現在、地域にとって魅力や誇りの源泉となっている歴史的建造物の多くは、「絹文化」との関係が深いとのことです。

「旧本庄商業銀行煉瓦倉庫」もその一つであり、レンガ倉庫には、本庄を特徴づける記憶が残っており、本庄の景観に深みと個性とをもたらしてくれています。

 

藤井先生は、「絹文化」に光を当てながら、これまで忘れさられ、埋もれていたまちの魅力を深く掘り起こし、それぞれの時代に生きていた人々の思いや営みが垣間見えるように、丁寧に伝えてくださっています。 

 

「旧本庄商業銀行煉瓦倉庫」で開業なさった「ローヤル洋菓子店」さん店主(江原栄一さんご夫婦)の思いを綴ってくださったことにより、本庄の繭の歴史が、本庄にとってかけがえのない、甘くて温かい記憶に変換されたように感じました。 

本庄に住む人にとって誇りとなるような、心に響く文章を執筆してくださいましてありがとうございました。

 

※NHK大河ドラマ主人公 渋沢栄一の活躍を今に伝える県境の魅力めぐり(その8)

「繭で栄えたまち・本庄を歩く③旧本庄商業銀行煉瓦倉庫~ローヤル洋菓子店の記憶~(本庄市)」

※藤井美登利先生が執筆された文章です。ローヤル洋菓子店内の風景も掲載されています。