~特別展「熊谷宿~江戸日本橋 + 総集編」は、2/8(土) まで開催中です。~
「中山道みたけ館」では、これまでに特別展「広重・英泉の『木曾海道六拾九次を辿って中山道を旅してみた』-旅人ミーモくんとめぐる中山道-」シリーズを2021年から4回にわたり開催してこられました。
『木曾海道六拾九次(きそかいどうろくじゅうきゅうつぎ)』は、江戸時代後期に、渓斎英泉(けいさい えいせん)と歌川広重(うたがわ ひろしげ)によって制作された浮世絵です。江戸と京都を結ぶ中山道の宿場町や風景が描かれた全70枚のシリーズで、当時の日本の文化や歴史を知るうえでも貴重な資料となっています。
「中山道みたけ館」の学芸員の皆さまは、これまで全4回となる特別展のために、浮世絵に描かれた宿場町を実際に訪れ、どの地点が浮世絵に描かれているのかを、一宿一宿丁寧に確認してこられました。
2021年12月には、「本庄宿」について調べるために、学芸員の栗谷本真さんと佐久間英明さんが、岐阜県御嵩町から戸谷八商店にもお越しくださいました。中山道の宿場町を一つ一つ、実際に訪れて調査するということは、想像以上に大変で、相当な精神力が必要だと感じます。お二人からは、これまでの旅の経験や、中山道を巡るために役立った資料、さらには今後の街道文化を盛り上げていくための貴重なお話を伺うことができました。
このたびは、シリーズ最終版となる第四集(熊谷宿~江戸日本橋 + 総集編)のガイドブックを、「中山道みたけ館」の栗谷本さん、佐久間さん、勝川さんよりお送りいただきました。
特別展の貴重なガイドブックををご恵贈いただき、心より感謝申し上げます。
◆「中山道みたけ館」(岐阜県可児郡御嵩町)
「中山道みたけ館」は、平成8年(1996年)に開館した、岐阜県可児郡御嵩町(かにぐん みたけちょう)にある、郷土館と図書館を併設した公共施設です。
郷土館には、中山道「御嶽宿(みたけじゅく)」や「伏見宿(ふしみじゅく)」に関する豊富な資料がそろっています。
御嵩町(みたけちょう)には、江戸日本橋から数えて49番目の宿場「御嶽宿(御嵩宿)」と50番目の「伏見宿」がありました。また、平成28年10月には、御嵩町の中山道区間のうち約3.6kmが国の史跡に認定されています。
【住所】:岐阜県可児郡御嵩町御嵩1389-1
【開館時間】:平日10時~18時/土・日・祝日9時~17時
【休館日】:毎週月曜日/毎月第3火曜日/毎月最終金曜日
【入館料】:無料
【ホームページ】:https://www.town.mitake.lg.jp/event/mitakekan-kyodo/
◆【中山道みたけ館】特別展「広重・英泉の『木曽海道六拾九次を辿って中山道を旅してみた』-旅人ミーモくんとめぐる中山道-」
~令和2年度にスタートした「特別展のシリーズ、全4回」~
これまで「広重・英泉の『木曽海道六拾九次を辿って中山道を旅してみた』」シリーズの特別展は、4回に分けて開催されました。
①令和3年(2021)3/9~5/30開催「伏見宿 ~ 下諏訪宿編」
②令和4年(2022)1/22~5/29開催「和田宿 ~ 深谷宿編」
③令和5年(2023)2/4~5/28開催「太田宿 ~ 京都三条大橋編」
④令和6年(2024)10/14~令和7年(2025)2/8開催「熊谷宿 ~ 江戸日本橋 + 総集編」
そして今回は、いよいよ最終回となる「熊谷宿~江戸日本橋」に関する特別展です。
2月8日まで開催されていますので、ぜひこの機会にご覧いただければと思います!
◆ 第1回 特別展「伏見宿~下諏訪宿編」
※令和3年(2021)3月9日~5月30日開催
(第1回・特別展の様子)
◆ガイドブック(第一集「伏見宿~下諏訪宿編」)
◆「御嶽宿(みたけじゅく)」 ※江戸日本橋から49番目
江戸日本橋から数えて49番目の宿場である「御嶽宿」は、歌川広重の『木曾海道六拾九次之内 御嶽』に描かれています。この作品では、宿場の中心部ではなく、「きちん宿」に集う貧しい人々と、一人旅をする少年の姿が描かれています。広重の温かい視線が感じられる素晴らしい一枚です。
◆「伏見宿(ふしみじゅく)」 ※江戸日本橋から50番目
江戸日本橋から数えて50番目の宿場である「伏見宿」は、歌川広重の『木曾海道六拾九次之内 伏見』に描かれています。中山道本線から外れた「犬山街道」にあった大杉を描いているとのことです。
◆ 第2回 特別展「和田宿~深谷宿編」
※令和4年(2022)1月22日~5月29日開催
第2回特別展『和田宿~深谷宿編』のため、2021年12月に、中山道みたけ館の栗谷本さんと佐久間さんが「本庄」を訪れ、取材してくださいました。
(特別展「和田宿~深谷宿編」のチラシ)
(第2回・特別展の様子)
※2022年「中山道みたけ館」の栗谷本さんと佐久間さんから送っていただいた特別展の写真より
(本庄にもお越しくださった栗谷本さんと佐久間さん)
◆ガイドブック(第二集「和田宿~深谷宿編」)
ガイドブックの各宿場町のページには、『木曽海道六拾九次』のモデルとなった場所の「緯度経度」と「標高」が記載されています。
「本庄宿」のページを見ると、
英泉が描いた浮世絵「支蘓路ノ駅(きそじのえき)本庄宿神流川渡場」のモデルの地の現在として、
「北緯:36°15’59″/東経:139°7’24″/標高70m」
と記されています。
上記の緯度経度(36°15’59″N 139°7’24″E) をGoogleやカーナビに入力すると、本庄宿のモデルとして渓斎 英泉(けいさい えいせん)が描いた「神流川渡し場」の場所が表示されます。
※Nは北緯、Eは東経のことです。
◆英泉作「支蘓路ノ駅(きそじのえき) 本庄宿 神流川渡場」のモデルの地の現在
◆ 第3回 特別展「太田宿~京都三条大橋編」
※令和5年(2023)2月4日~5月28日開催
(特別展「太田宿~京都三条大橋編」のチラシ)
(第3回・特別展の様子)
◆ガイドブック(第三集「太田宿~京都三条大橋編」)
◆ 第4回 特別展「熊谷宿~江戸日本橋 + 総集編」
※令和6年(2024)10月14日~令和7年(2025)2月8日開催
(特別展「熊谷宿~江戸日本橋 + 総集編」のチラシ)
※読売新聞記事(2025年2月2日)に、現在、中山道みたけ館で開催されている特別展についての記事「御嵩で中山道の魅力紹介する特別展 ~浮世絵とモデル地見比べ~」が掲載されていました。(※詳細は「読売新聞オンラインHP」へ)
◆ガイドブック(第四集「熊谷宿~江戸日本橋 + 総集編」)
◆第1章 続、はじめに
◆第3章 木曾海道六拾九次シリーズ ~さまざまな疑問より~
◆第3章「さまざまな疑問」の中の、「中山道は67宿か?69宿か?」についての解説を読んで、67宿か69宿かという疑問は、江戸時代の幕府の「街道政策」の歴史的な経緯や、「幕府の公認資料」を見ることで、中山道は67宿であると理解できることが分かりました。
東海道が慶長6年(1601年)、中山道が翌年の慶長7年(1602年)に整備された街道であったため、そもそも「草津宿」と「大津宿」は「東海道」の宿場として成立していたという歴史的経緯があります。
また、幕府公認の資料である『中山道宿村大概帳』と『東海道宿村大概帳』の記録を比較することで、「草津宿」と「大津宿」は、「東海道」として幕府に認識されていたという説明は非常に分かりやすかったです。
幕府の「街道政策」や「公認資料」を確認することで、中山道がなぜ67宿と数えるのが正しいのか納得できました。
◆また、ガイドブックの「浮世絵の浮世とは?」と「木曾海道六拾九次之内の位置づけ」を読んで、当時「浮世絵」が人々になぜ求められていたのかということや、当時の「旅文化」の影響の大きさを改めて実感しました。
「浮世絵」は、現在では芸術作品としての評価が高いものの、当時はまるで映画のポスターや旅行ガイドのように、身近で手に取りやすい情報源だったという点が非常に興味深いと感じました。
とくに、「浮世(憂き世)」という言葉の由来が、「つらくて儚い世の中を少しでも楽しく生きるためのもの」だったという視点は、浮世絵が単なる娯楽ではなく、「人々の心を支える存在」でもあったことを示しており、非常に印象的でした。
当時、歌川広重と渓斎英泉による『木曾海道六拾九次』や、歌川国芳による『木曾街道六十九次』などの浮世絵が流行した背景には、多くの人々の「旅への夢」や「あこがれ」があったのだと改めて感じました。
先日、「東海道」についてNHKの人気番組『ブラタモリ』の中で、東海道には「53次」と「57次」の2つのルートがあったものの、歌川広重の浮世絵『東海道五十三次』が「東海道は53次」というイメージを広めたと紹介されていました。
同じように、「中山道」も、歌川広重と渓斎英泉による『木曾海道六拾九次』や、歌川国芳による『木曾街道六十九次』といった浮世絵の作品が、中山道を「69次」と認識させる大きな要因となったのだと思います。
当時の人々にとっては、幕府の公式記録よりも、こうした「浮世絵」のほうが「旅の中山道」を象徴する存在であったため、中山道を「69宿」と認識する風潮が広まったのだと思います。
テレビもインターネットもなかった時代、旅は誰もが気軽にできるものではなかったからこそ、「浮世絵」は庶民にとって重要な役割を果たしていたのだと思います。
こうした「歴史的背景」や「庶民の旅文化」を踏まえると、中山道が「67宿か69宿か」という問いは、単に数の問題ではなく、「庶民の旅文化」や「あこがれ」という視点から見た「中山道」と、幕府の公式な「中山道」とが交差していたことを実感しました。
「中山道みたけ館」の皆さんによって発行されたガイドブックは、庶民の視点からの「中山道」と、幕府の公式な歴史記録としての「中山道」の両面を分かりやすく解説しており、とても素晴らしく貴重な資料だと思いました。
◆江戸日本橋から8番目「熊谷宿」
◆「江戸日本橋」
◆【総集編】浮世絵が伝えた中山道 ~情景・登場人物・動物等分類より~
第6章では、『木曾海道六拾九次』に描かれた各宿場町の風景が、山や峠、河川、湖、滝、城、橋といった要素ごとに整理され、表としてまとめられていました。往時の旅人たちが目にした風景が、今もどのように残っているのかを知ることができ、とても興味深かったです。
このような切り口は、学芸員の皆さまが実際に現地を訪れ、風景を丁寧に確認されたからこそだと思います。広重・英泉のの作品が、当時の地理や風景を伝える貴重な「記録」でもあることを、より深く感じることができました。
◆【総集編】モデルの地一覧(70か所)
70か所もの浮世絵に描かれた風景と現代の景色が一堂に並ぶという構成に感銘を受けました。
往時の風景と現在の風景が重なり合うことで、歴史と現代が交錯する中山道の素晴らしさを改めて感じることができました。また、中山道の魅力は単なる一つの宿場町にとどまらず、各宿場町が連携し合っている点にも気づかされました。
左上の黄色い枠部分は、「本庄宿」についてです。渓斎英泉(けいさい えいせん)によって描かれた「支蘓路ノ駅(きそじのえき)本庄宿 神流川渡場」の風景と、現在の景色が写っています。
2021年12月に中山道みたけ館の栗谷本さんと佐久間さんが本庄宿の調査のためにお越しくださり、その際にお話しできたことを思い出し、とてもありがたい気持ちになりました。
【※神流川橋のその後について】
神流川橋は1934年の竣工から88年たち老朽化が進んでいたことから、架け替え工事が行われていました。
お二人が取材に来てくださってから約1年後の2022年12月3日に、新神流川橋が開通しました。
◆【総集編】二次元コードで辿る「木曽海道六拾九次之内」モデルの地
ガイドブックの第9章には、スマートフォンやタブレットで読み取れる71個の二次元コードが掲載されていました。(69の宿場と「日本橋」、「京都三条大橋」を含む71か所のモデル地点です。)
二次元コードを読み取ることで、マップ上に各宿場モデルの地の位置が表示される仕組みとなっています。
二次元コードを読み取ると、各宿場のモデル地がマップ上に表示され、実際に訪れる際の参考になるだけでなく、まるで自分自身が旅人となって中山道を歩いているような気分を味わえる点も、大きな魅力だと思いました。
このような現代のデジタル技術を使ったアイデアは、中山道の歴史をより身近に感じられるとともに、街道文化の魅力を今の時代に合った形で伝えていく素晴らしい試みだと思いました。
※『木曾海道六拾九次』の中で「本庄宿」は、渓斎英泉によって『支蘓路ノ驛 本庄宿 神流川渡場(神流川の渡し場)』として描かれています。
上記「本庄宿」の二次元コードを読み取ると、中山道みたけ館の学芸員の方による調査で特定された『支蘓路ノ驛 本庄宿 神流川渡場』モデルの地(推定)」が地図上に表示されます。
◆第10章 あとがき
「中山道みたけ館」の皆さま、ありがとうございます!
◆中山道みたけ館で行われた特別展について
「中山道みたけ館」(岐阜県可児郡御嵩町)では、これまで「浮世絵の世界展」「中山道本陣展」「中山道美濃十六宿展」「江戸時代の旅行展~旅行用心集~」「弥次・喜多の旅 道中記でたどる中山道の旅展」「歌川国芳の描いた木曽街道六十九次」「道中記 江戸時代の旅ガイド」「岐蘓路安見絵図(きそじあんけんえず)を辿って、電動アシスト付自転車で中山道を走ってみた!」など、さまざまな視点から中山道を紹介する特別展を開催されてこられました。(※ガイドブック第一集「はじめに」より)
江戸時代に『御嶽宿(みたけじゅく)』と『伏見宿(ふしみじゅく)』という2つの宿場が開かれた町として、中山道に対する研究の深さと情熱には、心から尊敬申し上げます。
◆特別展「木曽海道六拾九次を辿って中山道を旅してみた」について
また、令和2年度(2020年度)からは、特別展「木曽海道六拾九次を辿って中山道を旅してみた」が開催されています。特別展では、江戸時代の浮世絵師「歌川広重」と「溪斎英泉」が描いた『木曽海道六拾九次』シリーズを題材に、各宿場町の浮世絵と、実際に現地を訪れて特定された浮世絵のモデルとなった地点の写真が展示されています。これまでシリーズを4回に分けて、特別展を開催してこられました。
①令和3年(2021)3/9~5/30開催「伏見宿 ~ 下諏訪宿編」
②令和4年(2022)1/22~5/29開催「和田宿 ~ 深谷宿編」
③令和5年(2023)2/4~5/28開催「太田宿 ~ 京都三条大橋編」
④令和6年(2024)10/14~令和7年(2025)2/8開催「熊谷宿 ~ 江戸日本橋 + 総集編」
◆そして、いよいよ最終回となった第4回目の特別展「広重・英泉の『木曽海道六拾九次を辿って中山道を旅してみた』(熊谷宿~江戸日本橋 + 総集編)」が現在、中山道みたけ館で開催中(2025年2月8日まで)です。
◆特別展のガイドブックについて
これまで4回開催された特別展のガイドブック(第一集~第四集)は、「中山道みたけ館」の学芸員の皆さまが、4年ちかくにわたり一宿一宿を丁寧に巡り、浮世絵の風景と現代の景色を重ね合わせながら、丹念に調査・研究を重ねてこられた結晶ともいえるガイドブックです。ページをめくるたびに、当時の旅人たちが目にした風景がよみがえり、その旅路を追体験することができる素晴らしいガイドブックでした。
◆とくに、2021年12月には、「本庄宿」について調べるために、学芸員の栗谷本真さんと佐久間英明さんが、岐阜県御嵩町から本庄をご訪問くださいました。
戸谷八商店にも取材くださいまして、貴重なお話を伺うこともできて本当に感謝しています。
◆ガイドブック(第四集)の「あとがき」について
今回のガイドブック(第四集)の「あとがき」には、学芸員の皆さまの思いが綴られていました。
この特別展の取材にあたっては、以下の “2つのルール” を徹底されていたとのことです。
①「モデルの地は必ず現地へ行って自分たちの目で確かめ、納得できる場所のみを推定地とすること」
②「各宿場では、必ず関係者の方々にお話を伺うこと」
そのため、宿場すべてを巡る旅は決して楽なものではなかったそうです。
初めての取材での緊張、予想外の天候や日没との戦い、現地に行ってもなかなか見つからないモデルの地…。
しかし、そうした苦労の中でも、「中山道の美しさ」「四季折々の表情」「宿場町を守る人々の熱意」、そして「モデルの地がここだと分かったときの感激」を胸に、4年間にわたる取材を続けてこられたそうです。
現地へ行かなければ感じ取れない “空気感” を肌で知ることで、ますます中山道の魅力を伝えていかなければという使命感を持たれたとのことです。研究者や観光協会、自治会、ボランティアガイドの方々との “交流” を重ねながら、中山道の文化と魅力を未来へつなぐための特別な記録を残してこられました。
改めて、このような素晴らしい特別展を企画・開催し、貴重な資料を届けてくださった「中山道みたけ館」の皆さまに、心より感謝申し上げます。
※特別展「広重・英泉の『木曽海道六拾九次を辿って中山道を旅してみた』-旅人ミーモくんとめぐる中山道- (熊谷宿~江戸日本橋 + 総集編)」は、2025年2月8日まで開催されています。
皆さまもぜひ、この機会にご覧ください。
中山道みたけ館の皆さま、このたびは、本当にありがとうございました!