~関東大震災から100年目の節目の年。新聞やテレビなどで様々に取り上げられた、100年前に流言飛語に惑わされた末に、本庄で起きた残虐なふるまいについても皆様と話し合わせていただきました。~
◆午前にご参加いただいた皆様
◆午後にご参加いただいた皆様
このたびは、戸谷八商店での「第7回本庄まちゼミ」にご参加くださった皆々様、本当にありがとうございました。
◆「第7回本庄まちゼミ」戸谷八商店の内容
■開催日時:
2023年 9月10日(日) 10時~11時
2023年 9月10日(日) 14時~15時
2023年 9月27日(水) 10時~11時
■講座名:№19『老舗15代目が語る中山道本庄宿』
今回のテーマは、本庄宿の旧家「諸井家」です。
渋沢栄一翁と縁が深く、実業家・外交官・作曲家・芸術劇場館長などを輩出した本庄の旧家。
※ゼミの後、埼玉県最古企業-戸谷八商店の歴史建物見学もございます。
■受講料:無料
■開催場所:戸谷八商店(本庄市中央1-7-21)
(資料)
◆関東大震災から100年目の節目の年。新聞やテレビなどで様々に取り上げられた、100年前に本庄で起きた流言飛語による朝鮮人殺害事件について
~この痛ましい事件の記憶を忘れず、通信手段が高度に発達した今にこそ、学ぶべきこと~
「イデオロギーの問題にしてはならない」「極限状態下、正しい情報が見えなくなったとき、大きな悲劇が起きる。フェイクニュースがはやる今日も同じです。この悲劇から学ぶべきことは多い。」
という本庄市長の考えにとても共感しました。
※慰霊碑の裏面(左)と、101回忌の2023年に立てられた「角塔婆」(右)【本庄市長 吉田信解氏による揮毫】
「一念彌陀仏 即滅無量罪 現受無比楽 後生清浄土」
犠牲者の無念を思いながら、手を下してしまった、あるいは見過ごしてしまった人間の業の浄化を念じているとのことです。(※上記、2023年8月31日の毎日新聞の記事より)
現在、本庄市の長峰墓地には1959年に建て得られた慰霊碑があります。
(※長峰の地は、中世から本庄に住んでいる人たちにとっては、一番大切な場所(聖地)とされてきました。
◆霊を慰めるために、一周忌のお墓として慰霊碑(1924年9月4日)を建立した「本庄記者団」と「本庄泰平株式会社」について
今、長峰墓地に建てられている慰霊碑は、第2代目の慰霊碑(1959年建立)です。
初代の慰霊碑は、虐殺のあった日から一周忌にあたる1924年9月4日に、「本庄記者団」と「本庄泰平株式会社」によって建てられました。
初代の慰霊碑には、表面に「鮮人之碑」と書かれていました。
この「鮮人之碑」の裏面には、「大正十三年九月卯日 本庄記者団 泰平会社演芸部 建石」と刻まれています。
三木伸一さんによると「卯日」は「四日」とのことだそうです。慰霊碑を建てた馬場安吉氏(群馬新聞本庄支局長)が、わざわざ「卯」と誤読させるような字体を選んで刻んだという、三木さんの洞察に感服しました。
(※三木伸一さんと一緒に調査を行っている本庄市文化財保護係長の細野房保さんは、本庄のお祭りや、郷土の文化の保存、「本庄組」による金鑚神楽の継承活動等に尽力されています。)
【大正14年・帝国銀行会社要録に掲載された「本庄泰平株式会社」の記事】
【昭和2年・帝国銀行会社要録に掲載された「本庄泰平株式会社」の記事】
今回毎日新聞の記事を読んで初めて知ったのですが、関東大震災の翌年の9月に本庄にて虐殺の慰霊碑を建てたのは、「本庄新聞記者団」(馬場安吉氏)と「本庄泰平株式会社」でした。
(虐殺の慰霊のために、本庄の人たちは全国的に見ても最も早い時期に動き、この慰霊碑を建てたとのことです。)
※この「本庄泰平株式会社」について調べてみると、12代目である戸谷間四郎さんと「本庄泰平株式会社」は深い関わりを持っていることを知り、驚きました。
(昭和2年には、戸谷間四郎さんは、「本庄泰平株式会社」の取締役になっています。)
※江戸時代、浅間山大噴火により利根川に流されてきた身寄りのない方たちの数多くのご遺体を、戸谷家の先祖たちが丁重に埋葬した場所がその後、伊勢崎市の戸谷塚という地名につながったとも父から聞いています。
◆映画『福田村事件』
映画『福田村事件』(森達也監督)は、関東大震災の5日後の1923年(大正12年)9月6日、千葉県福田村(現 野田市)にて、香川県の薬売りの行商団が朝鮮人と疑われて実際に起きた虐殺事件を題材にした映画です。
2023年9月1日より公開され、大きな反響を呼んでいます。
◆映画『福田村事件』公式ホームページ:
https://www.fukudamura1923.jp/
映画『福田村事件』パンフレット
映画のパンレットの主な参考文献には、本庄・児玉・神川地域の郷土史家である北沢文武氏の『大正の朝鮮人虐殺事件』(鳩の森書房)も掲載されていました。
映画を拝見して、本庄事件(関東大震災から3日後の1923年9月4日に本庄町で発生した朝鮮人大殺害事件)や、福田村事件は、流言飛語、デマに惑わされ、人が不安や恐怖にあおられると、どのような集団でも起こしうる、まさに今現在、直面している問題であることを実感しました。
今後二度とこのような悲惨な事件を起こさないためにも、あらゆる年代の方々に、何度も繰り返し観られるべき歴史的にも貴重な映画だと思いました。
◆郷土史家の「北沢文武氏」
郷土史家の北沢文武氏は、本庄で起きた朝鮮人虐殺事件について研究され、『大正の朝鮮人虐殺事件』という一冊の本にまとめられています。この本からは、北沢さんの深い思いやりの心が伝わってきます。
北沢文武氏はまた、本庄市出身の思想家 石川三四郎氏の研究もなさっています。
(下記は、北沢さんによる、「石川三四郎氏の3部作」です。)
北沢さんの奥様は2021年3月に開催した「第4回本庄まちゼミ」に来てくださり、北沢さんについてのお話を聞かせていただきました。
戦国時代、三つ巴の戦いの中で本庄宿を作った仲間たちは、常に少数者の立場に追いやられていました。そのため、本庄地域には、少数者の方の立場に対して、敬意を払う伝統が連綿と続いてきました。
(江戸時代から本庄では、多才な芸術家が生まれ、そのネットワークが全国に広がっていました。その伝統が諸井家にも伝わっているというのが今回のゼミのテーマの一つでした。)
郷土史家である北沢さんの書籍を読み、北沢さんの取材に協力された方のお言葉などを拝読させていただくと、北沢さんを含め、多くの方が、少数者の立場の方に対する深い思いやりを持たれていることを、強く感じることができました。
流言飛語や噂などがもとになって、大惨事になってしまうことは、通信手段が未熟な過去の時代だけの話だと考えがちでしたが、今回改めて新聞やテレビのニュース報道を見て、通信手段が高度に発達した今こそ、流言飛語やフェイクニュースに関してより慎重に対応することの難しさと重要さを学びました。
少数者の立場に敬意を払う伝統だけでなく、本庄でこのような惨たらしい虐殺事件を起こしてしまったという負の歴史を後世に伝え、二度とこのようなことを引き起こさないように学び合う必要性を強く感じました。
繰り返しになりますが、本庄で起きたこの痛ましい事件の記憶を忘れず、慰霊祭をこれからも毎年、本庄で、続けていってもらいたいと強く願います。
このたびは、戸谷八商店での「第7回本庄まちゼミ」にご参加くださいまして、本当にありがとうございました。