~御神幸祭(ごしんこうさい)・金鑚神楽(かなさなかぐら)・山車の巡行~
新型コロナウイルスの影響により2年連続(2020年・2021年)で中止となっていた金鑚神社(かなさなじんじゃ)の附祭り『本庄まつり』が、3年ぶりに開催されることとなりました。
金鑚神社は、「中山道本庄宿の総鎮守」として親しまれています。
毎年11月2日と3日に、金鑚神社の例大祭の附祭りとして「本庄まつり」が行われています。
中山道一の山車祭りとも言われ、10基の山車(だし)が市内を巡行します。
【2022年11月2日(水)】
午後~
10基の山車の曳き廻し
【2022年11月3日(木・祝日)】
●神楽奉納
11時~17時
金鑚神楽本庄組による神楽奉納(数回に分けて開催)
●山車巡行
12時10分~
金鑚神社御神幸祭・山車出発
14時30分~
駅前通り巡行
●前パレード
11時~12時
民踊流し(銀座通り~はにぽんプラザ)
13時~14時
南京玉すだれ演舞(はにぽんプラザ)
◆各町の山車集結
「本庄まつり」は、江戸時代には「奥のお九日(おくのおくんち)」と呼ばれ、毎年9月29日に五穀豊穣と宿内繁盛を祈るものとして行われていました。
明治に入って太陽暦が採用されると、明治7年頃からは、祭日が現行の11月3日(明治天皇の誕生日・文化の日・太陰暦の9月29日に近い吉日)に変更されました。
◆金鑚神社・御神幸祭(ごしんこうさい)
御神幸祭(ごしんこうさい)は、一年に一度の祭礼日に、神社の本殿より御祭神(※金鑚神社は、天照大御神・素戔嗚尊・日本武尊の三柱)の神霊を神輿に移して、氏子地域内や御旅所(おたびしょ)に渡御(とぎょ)するお祭りです。
「神輿渡御(みこしとぎょ)の目的は、神様を神輿に移して氏子域(町内)を巡行し、氏子の幸や商業の繁栄を祈り、またわざわい災厄を取り除き、疫病を追い払い、人々に神の威光を示すことにある。
神輿渡御(みこしとぎょ)に当たっては、神々が地上に降り立つ時に道案内役を務めたとされる猿田彦(さるたひこ)という神が神輿を先導し、神官や榊、旗、吹き流し、太鼓などがつき従う。この祭礼行列による巡行を御神幸祭(ごしんこうさい)と呼んでいる。」『本庄のむかし こぼれ話』(柴崎起三雄著)P58より
金鑚神社の宿内への神輿渡御(御神幸祭)は、宝暦8年(1758年)に神輿が新調されたのを機に、宝暦10年(1760年)にはじまったと伝えられています。
「鎮守様のお祭り」として親しまれていた祭りに、附祭りとして「山車」が参加するようになったのは、江戸時代の文政期頃と考えられています。
「児玉郡本庄宿維新前歴史」(諸井六郎氏著)によれば、明治以前にも各町内に山車は存在していたようですが、現在の「本庄まつり」に見られるような「江戸型山車」が登場するのは明治5年からとのことです。
(仲町の御旅所にて)
(戸谷八前にて)
(前本町自治会長の奥野さんにご挨拶をさせていただきました。)
■宝暦8年(1758年)造の『金鑚神輿』
※『本庄のむかし』(柴崎 起三雄氏著)より
◆山車の巡行
◆「本庄まつり」各町の山車
~10基の山車の巡行~
◆「本庄まつり」11月3日の様子
◆「本庄組」による金鑚神楽(かなさなかぐら)の奉納
~金鑚神社神楽殿にて~
【2022年・金鑚神社大祭で奉納された演目】
1.『翁』11:30~
2.『相生』12:30~
3.『種蒔』13:30~
4.『鍛冶』15:30~
5.『鬼神』16:45~
(※2019年11月3日「本庄まつり」の際に金鑚神社神楽殿にて奉納された『翁(おきな)』)
出典:https://youtu.be/dDlVFHn6VVUより
※『翁(おきな)』は、天下泰平を祈る儀式的な曲で、新年や舞台開きなど、祝賀の機会に演じられる演目です。
『翁』の源流は、観阿弥・世阿弥よりはるか古くまで遡ると伝えられています。
様々な点で他の演目と異なる独特な様式を持ち、別格に扱われる神聖な祝言曲が「翁」です。
◆本町(もとまち)の山車
※戸谷八商店は、本町自治会の第一支会に所属しています。
【石橋(しゃっきょう)】
~一日の催し物をしめくくる祝福の能の演目『石橋』~
本町は、明治初期より「関羽(かんう)」山車があると伝えられていました。
柴崎起三雄著『本庄のむかし』によると、購入時期は不明であるが様々な資料を検討すると、明治6年(1873年)に「関羽」を購入したのではないかと推測されています。
その後、明治28年(1895年)、日清戦争の凱旋祝賀会が行われたとき、人形を「翁(おきな)」に替え、昭和3年(1928年)には、昭和天皇の「御大典」祝いに人形を現在の「石橋(しゃっきょう)」に替えました。
さらに、平成16年~19年にかけて能装束研究家・山口 憲先生によって、能「石橋」に合わせて、人形装束と幕類が新調されました。)
【本町の御旅所】