2024年4月14日(日) 「城山稲荷神社」の例大祭が開催され、金鑚神楽「本庄組」によって神楽が奉納されました。

~城山稲荷神社例大祭・金鑚神楽「本庄組」による神楽奉納・本庄城プロジェクト・本庄城御城印・桜~

「城山稲荷神社 御由緒」
「城山稲荷神社 御由緒」

『本庄城』は、戦国時代の弘治2年(1556年)に、武蔵七党の児玉党を構成する本庄宮内少輔実忠(ほんじょう くないしょうゆ さねただ)によって築城された平城です。

利根川と烏川に削られた段丘上にあり、北側の段丘の直下に小山川が流れ、南東は久城堀で切断されるという地勢は自然の要害でありました。

古河公方家を迎え撃つために、元の本拠地であった「東本庄館」から移したとされています。

 

「小笠原氏居城期の城郭プラン推定図」 ※『本庄地元学だより 第31号』(増田未来望著)より
「小笠原氏居城期の城郭プラン推定図」 ※『本庄地元学だより 第31号』(増田未来望著)より

 

◆第一次本庄城(本庄氏本庄城)

・弘治2年(1556年)本庄宮内少輔実忠(ほんじょう くないしょうゆ さねただ)によって築城。天神林(現長峰)のあたり。

・本庄氏は、当初山内上杉氏に属する。

・永禄10年(1567年)北条氏邦(うじくに)軍に攻められ落城。(→後北条氏方に服属する)

・天正8年(1580年)、本庄実忠の死後、家督を継いだ本庄隼人正近朝(ほんじょう はやとのしょう ちかとも)が城主となる。

・天正18年(1590年)本庄近朝は、後北条氏とともに豊臣秀吉と対立し、小田原城へ籠城するも開城に際して自害。本庄城も小田原軍に攻められ落城し、鎌倉時代から本庄を支配してきた本庄氏は滅亡した。

 

◆第二次本庄城(小笠原氏本庄城)

・豊臣方の徳川家康の関東入国に伴い、信濃国の城主小笠原信嶺(おがさわら のぶみね)が1万石を賜って新城主となる。

・小笠原信嶺は本庄氏本庄城を廃城し、新たに現在の場所に小笠原氏本庄城を築城する。(本丸は城山稲荷神社の南西部一帯。城山稲荷神社と本庄市役所との間。)

・慶長十七年(1612年)、その嗣子小笠原信之(おがさわら のぶゆき、徳川四天王の一人酒井忠次の三男)が、下総国古河城へ転封されたことにより、本庄城は廃城となる。

 

「城山稲荷神社創建四百五十年記念碑」
「城山稲荷神社創建四百五十年記念碑」

『城山稲荷神社創建四百五十年記念碑

 城山稲荷神社が当地に鎮座されて四百五十年を迎える。

 今を去る弘治二年(1556)、児玉党の後裔本庄宮内少輔実忠は、上杉氏を破り関東の覇者となった後北条氏に従い、新たな戦局に備えて東本庄の館を引き払い本庄台地の北端、字天神林に城を築き、守護神として稲荷神社を勧請した。本庄城の築城を機に本城村も誕生した。

 天正十八年(1590)、後北条氏が豊臣秀吉に敗れると本庄城も秀吉勢前田利家軍の前に戦う事無く開城した。

 新たに本庄領一万石の城主となった小笠原信嶺は、天神林の城を廃して当所に新城を築き、旧城内より稲荷神社をここに遷座した。

 その後、本庄城は徳川幕府により廃されるが、城山稲荷神社は五穀豊穣、商売繁盛の神として中山道最大の宿場町である本庄庶民の崇信を集めて来た。

 また、町が全国有数の繭の集散地となった明治から昭和初期にかけては、養蚕倍盛の神として周辺町村に講も組織され、例大祭には参拝者が列をなし、芝居や踊り、サーカス等の小屋掛けも行われ、賑わった。

 現在、社殿及び境内には国の神社合祀令に従って、明治四五年(1912)、本町地内にあった八幡神社、八坂神社、天手長男神社、琴平神社が共に祀られている。

 平成十八年(2006)、本庄の歴史とともに歩んだ城山稲荷神社の創建四百五十年を祝して、ここに石製大鳥居奉納、階段修復、記念誌発刊、記念碑建立を行うものである。

 平成十八年四月吉日』


◆城山稲荷神社社殿にて執り行われた「例大祭」

~4月の第2土曜日・日曜日~

「城山稲荷神社扁額」
「城山稲荷神社扁額」
「城山稲荷神社社殿」
「城山稲荷神社社殿」

令和6年4月14日(日) 、「城山稲荷神社」の例大祭と同時に、「八幡神社」および「天御手長神社」の例大祭も執り行われました。

城山稲荷神社社殿は「3神合祀殿」です。

 

城山稲荷神社(3神合祀殿)の内部 ※『本庄の歴史と城山稲荷神社』本庄市本町(P28)より
城山稲荷神社(3神合祀殿)の内部 ※『本庄の歴史と城山稲荷神社』本庄市本町(P28)より

(社殿にて例大祭の様子)

【天手長男神社(あめのてながおじんじゃ)】~火伏せの神様~

社殿西側に鎮座する「天手長男神社(あめのてながおじんじゃ)」は、通称「御手長さま」と呼ばれます。

本庄周辺には多く祀られていますが、全国的には極めて少ない神社とのことです。

「天手長男神社(あめのてながおじんじゃ)」の本社は、長崎県壱岐市郷ノ浦町にあります。

『延喜式』に記載された明神大社で、壱岐一の宮と呼ばれています。

幕末から明治にかけて、「御手長さま」が埼玉県北部に「火伏せの神」として祀られるようになりました。

寄居町小園に「壱岐天手長男神社(いきあめのてながおじんじゃ)」があり、宮司の先祖が江戸時代前期に壱岐郡郷ノ浦町より小園村に土着したときに、同地に同社を勧請したと伝えられます。

「城山稲荷神社」の例大祭と共に「八幡神社」と「天手長男神社」の例大祭も執り行われました。

 


(本町自治会会長 小高隆雄さん)

(右)本町自治会会長 小高隆雄氏 (左)戸谷充宏
(右)本町自治会会長 小高隆雄氏 (左)戸谷充宏

本町自治会長の小高隆雄さんは、いつも本町のお祭りや、様々な行事で大変お世話になっている方です。

昨年、256年の歴史を持つ本町の天王神輿が修復された際は、小高本町自治会長をはじめ、多くの本町の関係者の皆さまのおかげで無事に本町宮神輿の修復が完了いたしました。本町の宝である宮神輿の修復を共にお祝いできたことがとてもありがたかったです。

また先日、本町自治会館にて渋沢栄一翁と本庄市についてのお話をさせていただいた際には、私の拙い説明にもかかわらず、心温かくお聞きいただき、本当にありがとうございました。

小高自治会長の温かいお人柄とお支えによって、本町はとても住みやすいまちとなっています。

改めて、心からの感謝を申し上げます。

 


◆「本庄組」による金鑚神楽の奉納

金鑚神楽「本庄組」による『禊(翁)』
金鑚神楽「本庄組」による『禊(翁)』

◆金鑚神楽(かなさなかぐら)とは

「金鑽神楽」とは、児玉郡神川町二ノ宮にある金鑚神社を核として埼玉県北部に形成された13組の神楽組による神楽の総称です。

宝暦年間(1751-1763年)に、「武蔵国二宮金鑚神社」(神川町二ノ宮)に古くから伝えられていた神楽と、入間郡勝呂郷の「大宮住吉神社」(坂戸市)に伝わる神楽を融合し、改良を加えて25座の曲目を定め完成させたものといわれます。

 

江戸時代から各所で神楽が伝えられていましたが、明治15年(1882年)の「遊芸人取締規則」の施行に伴い、「金鑚神楽」として統一が図られた結果、計13組の神楽組に組織再編されました。

 

本庄市域では、金鑚神楽の「5組の神楽」が本庄市重要無形民俗文化財に指定されています。

 

《本庄市域での5組の金鑚神楽》

本庄組(諏訪町)、宮崎組(牧西・モクサイ)、杉田組(四方田・シホウデン)、根岸組(小平・コダイラ)、太駄組(太駄・オオダ)

 


城山稲荷神社の例大祭にて、金鑚神楽「本庄組」による神楽の奉納が行われました。

金鑚神楽「本庄組」による『禊(翁)』
金鑚神楽「本庄組」による『禊(翁)』

◆金鑚神楽「本庄組」について

金鑚神楽「本庄組」の神楽の発祥は、金鑚神楽の神楽組として参加する以前の、江戸時代後期と伝わります。

 

白川御殿門家である細野磯部貞道氏が金鑚神社に奉納した神楽で、以降「細野家」が氏子に神楽を伝えたともいわれています。

 

明治15年(1882年)、『遊芸人取締規則』が発令されたのをきっかけに、武蔵国二宮金鑚神社(神川町二ノ宮)が主導して各神社の神楽に優雅さを加え、演目も古事記などをもとにした25座を定め、計13組の神楽組に組織再編し、13組の神楽組にはそれぞれ金鑚神社付属神楽としての『免許状』を与えることで取締対象から逃れました。

 

この時、金鑚神楽「本庄組」も誕生しました。

現在、「本庄組」によって、「金鑚神社(本庄市千代田)」の例大祭をはじめ、「阿夫利神社(本庄市中央)」・「城山稲荷神社(本庄市本庄)」、「諏訪神社(本庄市寿)」にて、毎年神楽が奉納されています。

 


◆「本庄組」に現存する、2通の「神楽執行の免許状」

~江戸時代(文政8年)に神祇官領長上家(吉田家)より発行~

本庄組に現存する2通の「神楽執行の免許状」 ※文政8年(1825年)
本庄組に現存する2通の「神楽執行の免許状」 ※文政8年(1825年)

現在、金鑚神楽「本庄組」には、金鑚神楽の神楽組として参加する以前の、江戸時代の免許状が2通残されています。

文政8年(1825年)に、吉田家・神祇官領長上家(じんぎかんれい ちょうじょうけ)御役所から発行された2通の「神楽執行の免許状」です。

宛名は、神社総代(助右衛門、八左衛門)や、宿役人(半蔵、半兵衛)となっています。

金鑚神社(本庄市千代田)での当時の神楽奉納者は、神職と直属の神楽師によると考えられます。

 

金鑚神楽「本庄組」による『相生』
金鑚神楽「本庄組」による『相生』

【本庄組の神楽の特色】

 

「本庄組」の神楽は、歌舞伎の振りを取り入れた、派手な所作が特色となっています。

文化2年(1805年)、細野重吉氏の父・細野織部氏が、京都で歌舞伎芝居を見物、その所作を神楽に取入れたといわれています。特に「伊賦夜坂」の変化は歌舞伎風であるといいます。

 

金鑚神楽「本庄組」による『相生』
金鑚神楽「本庄組」による『相生』

【本庄組の中心人物・細野家】

 

金鑚神楽「本庄組」の中心となったのは細野重吉氏です。 

細野重吉氏は明治期に、金鑚神楽の伝承者として出張指導し、「岡本組」「根岸組」「忍保組」「太駄組」を誕生させました。 

またこの他、群馬県甘楽町秋畑の「稲含神社(いなふくみじんじゃ)」に伝わる神楽は、安政年間に本庄の諏訪新田の細野竹松氏、橋本大助氏の指導によるものと伝わります。(※『甘楽町の文化財』(甘楽町教育委員会発行、2018年)より)

細野竹松氏・橋本大助氏両師匠から教えられた組は、「稲含神社(いなふくみじんじゃ)」の他に、日野の「鹿島神社」や、東松山市の「浅間神社」等、埼玉県を中心に18組あると伝えられています。(※『群馬県の無形文化財』昭和49年P26~28より)

 

「稲含神社の太々神楽(町指定重要無形民俗文化財)」の師匠は、諏訪町新田の細野竹松氏と橋本大助氏と伝わります。  ※『甘楽町の文化財』(甘楽町教育委員会発行、2018年)より
「稲含神社の太々神楽(町指定重要無形民俗文化財)」の師匠は、諏訪町新田の細野竹松氏と橋本大助氏と伝わります。  ※『甘楽町の文化財』(甘楽町教育委員会発行、2018年)より
金鑚神楽「本庄組」の細野一郎氏
金鑚神楽「本庄組」の細野一郎氏

2020年8月14日埼北よみうり記事「明治安田文化財団 助成対象に~金鑚神楽本庄組 道具を新調~」
2020年8月14日埼北よみうり記事「明治安田文化財団 助成対象に~金鑚神楽本庄組 道具を新調~」

2020年8月、金鑚神楽「本庄組」が、公益財団法人明治安田クオリティオブライフ文化財団様による「地域の伝統文化保存維持費用助成制度」の助成対象に選ばれました。

国内における貴重な伝統文化として「本庄組」が選定され、長年修繕しながら使い続けてきた太鼓と、神楽鈴を新調されたとのことです。

 

金鑚神楽「本庄組」の(左)細野 一郎氏、(右)細野房保氏 ※細野一郎氏が叩いている神楽の太鼓が新調されました!
金鑚神楽「本庄組」の(左)細野 一郎氏、(右)細野房保氏 ※細野一郎氏が叩いている神楽の太鼓が新調されました!

◆金鑚神楽(かなさなかぐら)~3つの系統~

その伝承系統は大きく以下の3つの系統に分けられると考えられています。

 

(A)大宮住吉神社(現坂戸市)系

(B)深谷市鼠八幡社(旧藤沢村)系

(C)諏訪神明宮系

「金鑚神楽 3つの系統」
「金鑚神楽 3つの系統」
「金鑚神楽13組 分布図」
「金鑚神楽13組 分布図」
北武蔵12郡総社としての「大宮住吉神社(坂戸市)」と金鑚神社、武蔵国にて神楽を伝承している主要な神社の位置
北武蔵12郡総社としての「大宮住吉神社(坂戸市)」と金鑚神社、武蔵国にて神楽を伝承している主要な神社の位置

(本庄市における5組の「金鑚神楽」)

 

 

神楽は、神の降臨する場所である「神座(かむくら)」に神を招き、生命力を高めようとする儀式だとされます。生命力が弱まる時期に、他界から神を招き、弱まった魂を振って浄化し再生させる「鎮魂」・「魂振(たまふり)」の儀式です。

神楽はまた、「招魂」や「鎮魂」、「魂振(たまふり)」にともなう「神遊び」であるともいわれています。

 

本庄地域では、上記のような「鎮魂」・「魂振」・「神遊び」としての神楽の他に、「慰霊」としての意味も含まれているのではないかと思われます。

現在、金鑚神楽の「本庄組」では毎年、金鑚神社(本庄市千代田)阿夫利天神社(あふりてんじんしゃ)城山稲荷神社、「本庄組」の氏神である諏訪神社にて神楽が奉納されています。

 

金鑚神社は「児玉党」の氏神として崇敬されました。

 

阿夫利天神社は、大正2年(1913年)に、阿夫利神社と、本庄氏が城の守護神として「東本庄館」から天神林に勧請した「天神社(天満宮)」が合祀された神社です。

小笠原氏時代には「金鑚神社」が鎮守とされ、「天神社(天満宮)」も保護されましたが、小笠原氏が下総国古河に転封されると「天神社(天満宮)」は衰微しました。「天神社(天満宮)」も古鎮守として崇敬していた本庄の人たちによって、大正2年に「天神社(天満宮)」は阿夫利神社と合祀され、「阿夫利天神社」と改称されました。)

 

城山稲荷神社は、本庄氏によって天神林(現長峰のあたり)に創建された「椿稲荷神社※」を、小笠原信嶺が現在の場所に勧請した神社です。

(※本庄氏は、城の守護神として、かつての本庄氏の本拠地「東本庄館」から天神林の地に「椿稲荷神社」を勧請しました。)

 

天正18年(1590年)、本庄氏滅亡後、新城主小笠原信嶺は、本庄氏の祀った「椿稲荷神社」(現在の「城山稲荷神社」)を新城内に移しました。慶長17年(1612年)、小笠原信之が下総国古河に転封されると、本庄城は廃城。本庄城の城下町付近には中山道「本庄宿」が形成され、武家の城下町から商人の町に変化して発展しました。城山稲荷神社は「本庄宿」の人たちによって厚い信仰を集めるようになりました。

 

現在、金鑚神楽「本庄組」の人たちは、金鑚神社、阿夫利天神社、城山稲荷神社にて神楽を奉納しています。

これは、金鑚神社では「児玉党」への慰霊、阿夫利天神社では「歴代本庄氏」への慰霊、城山稲荷神社では、戦国時代に北条・上杉・武田の三つ巴の戦い及びその後の小田原征伐で亡くなった「本庄近朝」や、命を落とした数多くの「花の木18軒の仲間たち」への慰霊の意味を含んでいると思います。

 

本庄には、弱い人々を慰める文化が根付いています。神楽にもそのような慰霊の思いが伝承されていると考えられます。

 


◆本庄城プロジェクト「本庄城御城印」

~「本庄御城印」は、本庄城観光PR委員会様発行の公式の御城印です。~

「本庄城の御城印」

「本庄城の御城印」
「本庄城の御城印」
「本庄御城印加盟店マップ」
「本庄御城印加盟店マップ」

◆本庄城プロジェクト【城下スタンプラリー】が開催中です。

(~2024年8月4日まで)

本庄城加盟店にてお買い物をして、家紋ハンコを3つ集めると、限定御城印がプレゼントされるとのことです。

(限定御城印は「本庄レンガ倉庫 Map」倉庫にて交換されます。)

 

※上記マップに掲載の「本庄御城印の購入可能場所」については、以下のWebサイトをご覧ください。

(1枚300円です。)

「本庄城 御城印 令和6年度モデル 通常印」https://collection.kojodan.jp/gojyoin/item/7239

 

(左)本庄城観光PR委員会 代表の 清水義直さん (右)戸谷充宏
(左)本庄城観光PR委員会 代表の 清水義直さん (右)戸谷充宏

本庄城観光PR委員会の代表 清水義直さんのもと、「本庄城おもてなし武将隊」の皆さんは、本庄市市民の心に本庄城を甦らせるために、様々な「本庄城プロジェクト」に取り組んでくださっています。

 

◆「本庄城おもてなし武将隊」様ホームページ

本庄城御城印についての情報について

◆「本庄城おもてなし武将隊【公式】」Instagram

◆「本庄城観光PR委員会 御城印」Instagram

「本庄城自分の心に城を建てろ!」Twitter

 

城山稲荷神社例大祭で得られた「城山稲荷神社環境維持改善寄附金」は、環境改善活動に利用していただけるとのことです。清水義直さんをはじめ、本庄城おもてなし武将隊の皆さまの優しい心遣いに触れ、とてもありがたいです。

 


◆「中山道 本庄宿 御宿場印」

清水義直さんと、「中山道 本庄宿 御宿場印」 ※令和6年4月14日城山稲荷神社・例大祭にて
清水義直さんと、「中山道 本庄宿 御宿場印」 ※令和6年4月14日城山稲荷神社・例大祭にて
「中山道 本庄宿 御宿場印」
「中山道 本庄宿 御宿場印」

「中山道 本庄宿 御宿場印」は、以下のお店にて販売中とのことです。

こめ吉商店様

石井たいやき店様

菓子工房うらら様

本庄デパートメント様 


◆本庄城の歴史が描かれた「白旗の剣」が遂にコミック化決定!

今を遡ることおよそ465年前の弘治2年、武蔵の国の最北端、

今は埼玉県本庄市と呼ばれるこの地にも、城が築かれていたことを

ご存知ですか?

その城に豊臣秀吉と小田原で戦った勇敢な武者がおりました。

武者の名は【本庄隼人正近朝】民のため彼が選んだ未来とは、、、

 

【原作・脚本】:Yoshinao★Shimizu 氏

【漫画】:坂井ユウスケ氏

エンディングテーマ曲「大きな欅の木の下で」

【作曲】:Yoshinao★Shimizu 氏

【動画制作】

本庄城観光PR委員会

a Sound Sounds

【協力】:本庄市役所経済環境部商工観光課

 

(※【本庄市PR動画】『白旗の剣』〜本庄近朝 物語〜より)

 


◆「本庄城 純米吟醸」

「本庄城 純米吟醸」
「本庄城 純米吟醸」

“地元の歴史を語り合う刻(とき)を作るためにこのお酒は生まれました。お土産品だけでなく地元酒処でも多くの人が味わって楽しいひとときを過ごしてもらいたいと願っています。”

 

この「本庄城」のお酒は、本庄城観光PR委員会 代表の清水義直さんのプロデュースのもと、共同開発によって生まれたとのことです。青りんごを連想させるフルーティーな香りとキレの良さが特徴です。

→「本庄城 純米吟醸」は下記の「こめ吉商店」様のホームページからご購入できます。

https://ec.komekichi-shouten.jp/items/58547041

 


◆「立ち読み本庄城」と「本庄城新聞」

「たちよみ本庄城」にて
「たちよみ本庄城」にて
「本庄城新聞(第壱号)」本庄城観光PR委員会
「本庄城新聞(第壱号)」本庄城観光PR委員会

はにぽんプラザ1階の交流スペース(埼玉県本庄市銀座1丁目1-1)にて、『立ち読み本庄城』という本棚が設置されました!(※持ち出し厳禁)

 

1階交流スペースに素晴らしい本棚を設置していただき、誠にありがとうございます。

本棚には、マンガから本庄市の歴史書まで、多彩なジャンルの本が並べられており、大変魅力的です。

さらに、本庄に関する手作りの『本庄城新聞』も置かれており、はにぽんプラザに通うことによって地域の魅力を再認識する機会にもなり、とても素晴らしい試みだと思いました。

 

清水義直さんは、本庄城を本庄市民の記憶に蘇らせ、本庄城の歴史と魅力を再発見できるようにするために、さまざまな「本庄城プロジェクト」に取り組んでくださっています。

 

「本庄城御城印」の発行や「本庄城純米吟醸」の開発、本庄城おもてなし武将隊「火焔」の皆さまによる太刀の演舞、本庄城観光PR動画やコミック、本棚、新聞の制作など、魅力的で創造的な活動に取り組んでくださっています。清水さんの情熱とご尽力に、心より感謝申し上げます。

 


◆樹齢450年の「城山稲荷神社の大ケヤキ」

城山稲荷神社のケヤキの木は、本庄城築城のおり献木されたと伝えられます。(樹齢約450年。)

埼玉県指定天然記念物となっています。

 

◆城山崇敬者 総代長の油江良文(ゆごう よしふみ)さん

城山崇敬者 総代長の油江良文(ゆごう よしふみ)さん
城山崇敬者 総代長の油江良文(ゆごう よしふみ)さん

城山の崇敬者総代長の油江良文さんは、20年間にわたり城山稲荷神社の手入れを続けてこられた方です。

神社とその周囲の自然環境、樹木を大切に守ってくださっています。 

 


◆夜の城山稲荷神社

例大祭前夜のライトアップされた参道です。

桜の木々が薄明かりに照らされ、昼間とは一味違う城山稲荷神社の魅力を感じることができました。

 

◆城山稲荷神社参道と、城下公園

参拝の後、城山稲荷神社のお札や笹のお守り、お神酒、お赤飯、お饅頭など、たくさんの心温まるお贈り物をいただきました。城山稲荷神社の神様のご加護を感じながら、例大祭をお祝いすることができ、とてもありがたかったです。