~世の中がモノクロになっちゃダメだいね ピンク!ピンク!ピンクが世の中を明るくする!林家ペーさんに会うと元気になる!~
2026年5月27日、旧本庄レンガ倉庫2階多目的ホールで、「林家ペーさんに会いたい」イベントが開催されました。
主催者であり同級生の小澤裕美子さんに声をかけていただき、参加してきました。
◆「林家ペーさんに会いたい」
日時:2026年5月27日(水) 13時~
場所:旧本庄レンガ倉庫 2階 多目的ホール
主催:ハックルベリーフレンズ(55 pink version)
ペーさんに合わせてピンク色の服や、グッズを身に着けて参加された方も多く、
来場者にはピンク色の風船も配られ、会場全体が明るく、楽しい雰囲気に包まれていました。
このイベントは、
「なんとかペーさん・パー子さんを元気づけたい」
という思いから、本庄東中学校1879年卒業生によってつくられた「ハックルベリーフレンズ」の皆さまが立ち上がり企画されたものです。
※ちなみに、
「ハックルベリー・フレンズ(Huckleberry Friend)」は、小説『トム・ソーヤーの冒険』に登場するトムの親友ハックルベリー・フィンが由来とのことです。
作中でトムとハックは、少年時代の冒険やピンチを共に乗り越えていきます。
そこから転じて、
「人生を共にするかけがえのない友達」
「悪だくみも一緒にしてきた相棒」
そんなニュアンスを持つ言葉だそうです。
当日は、ペーさんの漫談とお喋りが披露され、会場は終始にぎやかでした。
「世の中がモノクロになっちゃダメだいね。ピンク!ピンク!ピンクが世の中を明るくする!」
という言葉そのままに、笑顔があふれる時間となりました。
◆司会を務められた小澤裕美子さん
今回、司会を務められたのは、小澤裕美子さんでした。
小澤さんといえば、コロナ禍の中、「まちを元気にしたい」という思いから、市民参加型PR動画『はにはにスマイル』を企画されました。
2020年、新型コロナウイルスの影響で、本庄市でも祇園祭や本庄まつりなど、多くの行事が中止となりました。そんな中、小澤さんを中心とした「WA project実行委員会」は、
本庄のまちに、「輪・笑・和」の3つの「WA」を広げようという思いから、
『はにはにスマイル』を制作されました。
(※戸谷八も、動画の1:25のところに出てきます。)
今回の企画にも、人と人をつなぎ、まちを明るくしたいという小澤さんらしい思いが感じられました。
◆「オバ記者」こと野原広子さんと本庄とのご縁がきっかけ
もともと、今回の企画は、かつて林家ペーさん・パー子さんのマネージャーを務められた「オバ記者」こと野原広子さんと「本庄とのご縁」がきっかけだったそうです。
野原さんは、2017年から『女性セブン』でアラ還 “オバ記者” としてエッセイを連載されていて、
読者からの支持もとても厚い方です。
【女性セブンでエッセイ『いつも心にさざ波を!』を連載されている野原広子さん】
◆野原広子さんのお母様と「本庄」とのご縁
野原さんのお母様は、以前、本庄の製糸工場で働いていたことがあり、その頃のことを「とても楽しかった」とよく話されていたとのことでした。
製糸業といえば長野県を思い浮かべる方も多いかもしれませんが、
本庄もかつては製糸業で栄えた町です。
当時の本庄の製糸工場では、
働く女性たちが安心して、楽しく働ける環境づくりが大切にされていたといわれています。
野原さんのお母様の思い出からも、当時の本庄の工場にあったあたたかい雰囲気が伝わってくるように感じました。
◆笑いあり、人情あり、悲しみありのペーさんのお話
そして、何より心に残ったのは、林家ペーさんのお話です。
長年、芸能界の第一線で活躍してこられたペーさんの漫談とお喋りは、笑いあり、人情ありで、さすがのひと言でした。軽妙さとちょっとした自虐を交えながら、 ご自身のことや芸能界での交友関係について、楽しく語ってくださいました。
一般的に、ぺーさんには、
ピンクの衣装に身を包み、カメラ片手に有名人とツーショットを撮り、その傍らには愛妻・パー子さんがいて、その場はいつも底抜けに明るい笑い声で包まれる。
そうしたイメージがあるかと思います。
しかし、実際にお会いして、お話をうかがうと、
ぺーさんが芸能界の荒波を歩んできた、その道のりの重みと、
それを笑いに変えてきた力強さが感じられました。
ぺーさんのお話によって、
会場は終始笑いに包まれ、私自身もたくさん元気をいただきました。
◆ぺーさんのお母様のご出身は「尾島町」
また、ペーさんご自身のお話によると、お母さまは、尾島町(群馬県太田市)ご出身とのことでした。
本庄と尾島町は、利根川をはさんで向かい合う地域です。
昔から人や物、文化の交流が盛んで、同じ利根川文化圏の中で深く結びついてきました。
そんなお話をうかがって、
ペーさんのことをいっそう身近に感じました。
◆利根川がつないだ人の縁 ~中村梅雀さんのご先祖と本庄・深谷とのかかわり~
以前、俳優・歌舞伎俳優の中村梅雀(なかむら ばいじゃく)さんのご先祖と、本庄・深谷との関わりについて紹介したことがあります。(※詳細はこちらへ)
そのきっかけは、NHKファミリーヒストリー「中村梅雀 ~名優の家に生まれて 祖父の事件の真相~ 」でした。
番組の中で紹介された、梅雀さんの祖父である3代目中村翫右衛門(なかむら かんえもん)さんの自伝には、次のような記述があったそうです。
「父には五人の兄弟があって、これは上州深谷に住んでいた。父も深谷にいたし、上州の本庄は父の家の郷里であったらしい。」
梅雀さんの祖父である中村翫右衛門さんが、深谷・本庄にルーツを持っていたことを知り、とても興味深く感じたことを覚えています。
もちろん、ペーさんご一家と直接のつながりがあるわけではありませんが、芸能の世界で活躍される方々のルーツをたどっていくと、思いがけず、この利根川流域の地域へと行き着くことがあります。
利根川は単なる県境ではなく、人と人、そして文化を結ぶ大きな交流の道でもあったのだと思います。
◆林家ペーさんと、林家たい平さんの師弟関係について

● 林家ペーさんは、昭和39年(1964年)に初代 林家三平さんに弟子入りされました。
当初の芸名は「ペー平」と命名されましたが、のちに「ペー」へと改名。
師匠の勧めもあり、落語ではなく「漫談」の道を進むことになります。
● 一門の系譜で見ると、
ペーさんは、初代三平さんの「直弟子」であり、
林家たい平さんは、三平さんの弟子である「こん平さん」の弟子、つまり「孫弟子」にあたります。
そのため、本来の上下関係ではペーさんの方がたい平さんにとって「大先輩(伯父弟子)」という間柄です。
● しかし2008年、漫談家であるペーさんが「落語もやってみたい」という強い思いから、
後輩であるたい平さんに弟子入りを志願します。
たい平さんは、大先輩からのまさかの申し出に深く恐縮しつつも、ペーさんの芸に対する純粋で謙虚な思いに打たれ、師匠としてその申し出を受け止められたそうです。
● たい平さんから「林家たいぺー」という高座名をもらい、
落語の世界においては「たい平さんが師匠、ペーさんが弟子」という、温かい逆転関係が誕生したそうです。
◆林家たい平さんは、「秩父」出身
林家たい平さんは、埼玉県秩父市のご出身で、現在も秩父市観光大使として活躍されています。
12月の「秩父夜祭(ちちぶよまつり)」をこよなく愛し、現在もお祭りに携わっておられます。
秩父夜祭について、たい平さんは次のように述べていらっしゃいます。
「お祭りは大好きで、太鼓も子どものころからたたいていて、山車に乗るのが夢でした。このお祭りの10日くらい前から太鼓の練習が始まるので、太鼓の音が町中にあふれてくると秩父人は、そわそわして仕事どころではないんですよね。子どもたちも気もそぞろ。12月2日、3日の祭りだから、お正月よりもみんな待ちわびているんですよね。」
また、たい平さんのご実家がある町内には、夜祭の山車(だし)がありませんでした。
しかし、お祭りにどうしても深く関わりたかったお兄さんが、あえて山車のある「上町(かみまち)」に引っ越し、実績を積まれたそうです。
そのおかげで、たい平さんも念願だった山車の上で人を鼓舞する「囃子手」を経験し、子どもの頃からの夢が叶って涙が止まらなかったと語られています。
さらに、秩父の象徴である「武甲山」への思いについて、たい平さんは次のように語っています。
「平日にサイレンが鳴って『ダーン』と音がすると、秩父の人はみんな『ああ、武甲山が削られた』と分かるんです。(中略)
本当に秩父のために身を削って尽くしてくれている山なんだなあと思うと、申し訳ない気持ちにもなります。」
さらに、東京で暮らしていた頃の心情についても、こう述べておられます。
「東京で暮らしていても心丈夫だったのは、
『武甲山を削ってこのビルができているんだな』と思うと、常に武甲山に見守られている気がしたからです。
そういう意味で、ずっと武甲山に支えられてきたんですよね。」
たい平さんの言葉からは、秩父という土地が、ずっと人生を支えてきた大きな拠り所であったことが、とても伝わってきました。
私の母も秩父出身で、毎年夏休みに秩父に通っていた頃の思い出がふっとよみがえり、たい平さんにとても親しみを感じました。
[参考]
● NHKアーカイブス「2019年08月02日 (金) 林家たい平 ふるさと埼玉(秩父)を語りつくす! 前編」
● NHKアーカイブス「2019年08月09日 (金) 林家たい平 ふるさと埼玉(秩父)を語りつくす! 後編」
◆林家たい平さんをはじめとする落語会・芸能界の仲間の方たちの温かい支援
昨年9月に、林家ペーさん・パー子さんご夫妻が火災に遭われた直後、
真っ先に支援の声を上げたのが、落語家の林家たい平さんでした。
たい平さんは秩父市出身で、観光大使も務めるなど、地域に深く根ざした活動を続けている方です。
その人柄のままに、ペーさんの火災のニュースを受けてすぐ、
「自分たちにできることを考えています」と発信されました。
火災による心の痛み、家族同然の4匹の猫を失った悲しみ、さらに火災保険未加入という厳しい状況。
たい平さんはそのすべてを受け止め、
「ペー師匠は、たい平一門の『たいペー』でもあります」と記し、できるだけ早くチャリティー公演を開く意向を明かしました。
その言葉どおり、たい平さんを中心に芸能仲間が集まり、
「がんばれ!ペー・パー子 有志応援団の集い」と題したチャリティー公演が、
なんと、2回開催されました。
◆チャリティー公演の開催
このチャリティー公演は、ペーさん・パー子さんご夫妻だけでなく、
同じマンションで被害に遭われた近隣住民の方々も支援する目的で行われました。
多くの芸人仲間や支援者が駆けつけ、連日大盛況だったとのことです。
● 第1回公演
2025年10月20日
場所:浅草東洋館(東京都台東区)
※日本の喜劇の聖地として知られる歴史ある劇場
● 第2回公演
2025年11月4日
場所:きゅりあん(品川区立総合区民会館)大ホール
◆ 支援の輪に加わってくださった芸能人の方々
落語の枠を超えて多くの芸能人が支援の輪に加わってくださったようです。
林家一門の皆さん、林家木久蔵さん、せんだみつおさん、桂米助さん、松村邦洋さん、松本明子さん、
岩崎宏美さん、テリー伊藤さん、戸田恵子さん、アンジェリーナ1/3さん、林家木久扇さん、三遊亭好楽さん、桂米助さん、柳亭市馬さん、神田茜さん、桂三木助さん、蝶花楼桃花さん、林家あずみさん、林家咲太朗さん、さらに、郷ひろみさんや、マツコ・デラックスさんほか。
たい平さんの呼びかけに応じて、芸能界の仲間たちが一丸となり、ペーさんご夫妻を励まそうと立ち上がったのです。
落語界には古くから、どうにもならない災難に見舞われた仲間を助けるために、特別な演芸会を開く「読み切り」と呼ばれる演芸界の伝統があるそうです。
さらに、高座には、たい平さんがペーさんのためにミシンで縫ってつくったという
「ピンクの座布団」が用意されていたとのことです。
◆ペーさんの言葉
ペーさんはご著書の中で、こう述べておられます。
「道を歩いていても『がんばってね』と見知らぬかたが
僕のバッグやポケットに現金をねじ込んでくれて、
その掛け値なしの温情に驚き、何度も目頭を熱くしました。
大げさかもしれないけど、そのたびに、日本人っていいなと思ったものです。
それにね、こうした多くの人の支援は『よし、がんばろう』という心の支えになるんだなと、
これも84年生きて初めて実感しました。」
※『ヨレヨレ人生漫談』(林家ペー 著、小学館新書、2026年5月)より
芸能仲間の思いと、一般の方々の温かさが、ペーさん・パー子さんお二人の心を支えていたのだと感じられました。
[参考]
・山陽新聞(2025年9月21日記事)「林家たい平、自宅火災の林家ペー&パー子夫妻を支援するチャリティーイベント計画「大変な思いをされてると察します」」
・日テレニュース(2025年10月21日)「林家ペー・パー子『驚きと感動と感謝』 チャリティー公演に林家たい平ら参加 9月に自宅で火災」
・林家たい平さんの公式ブログ・そら色チューブ「ペー師匠パー子姉さんの会」
・47NEWS(2025年11月6日)「林家ペー、パー子応援公演 「紅白(歌合戦)でトリを取ったみたい」 仲間が続々、温かい拍手」
◆イベント終了後には、ぺーさんの書籍販売と写真撮影
イベント終了後には、ペーさんの新刊『ヨレヨレ人生漫談』の販売と、写真撮影が行われました。
皆さん、とてもいい表情でした!
◆林家ペーさんによる初の書下ろし本『ヨレヨレ人生漫談』
林家ペー 著『ヨレヨレ人生漫談』(小学館新書、2026年5月)
2025年9月、突然の漏電火災に見舞われた林家ペーさん。
その後に書かれたこの本は、ペーさんの面白さと悲しみが入り混じった前向きな人生語りです。
聞き手は、かつてペー・パー子夫妻のマネージャーを務めたこともある「オバ記者」こと野原広子氏です。
〈主な内容〉
● 大阪での生い立ちから上京
● 初代林家三平師匠への弟子入り
● 妻・パー子さんとの出会い
● 芸能界の仲間たちとの絆
● 海老名香葉子さん、北野武さん、そしてピンク衣装の仕掛け人・テリー伊藤さんとの交流まで、昭和〜令和のテレビ史の裏側がぽんぽん飛び出します。
● そして昨年の漏電火災
林家たい平師匠が、チャリティー公演を二度も企画してくれたこと。
仲間の温かさが、じんわり伝わります。
そして、もうひとりの大きな支え、元マネージャーの野原広子さん(オバ記者)。
火事直後の手続きから生活再建まで、家族のように寄り添い続けた存在です。
この本には、人の優しさとペーさん夫妻の底抜けの魅力が詰まっています。
どんなに厳しい状況や逆境に直面しても、最後は「笑い」に変えてしまう底抜けのたくましさが、ぺーさんには満ちています。
読んだ後、温かさに包まれるようなそんな本でした。
「世の中がモノクロになっちゃダメだいね」
この言葉のように、会場いっぱいに広がったぺーさんのピンク色と笑顔は、本庄のまちを明るくしてくれたように感じました。
林家ペーさん、野原広子さん、本庄までお越しいただきありがとうございました。
また、小澤裕美子さんをはじめハックルベリーフレンズ(55 pink version)の皆さま。
ペーさんにお会いできる温かい場をつくってくださり、心より感謝いたします。





















